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 片山伯耆流は戦国時代の武将、片山伯耆守久安を始祖とする武術である。  居合、剣術、体術等の総合武術で片山流とも称するが、現在まで伝わるのは居合のみ。  最近になって、書伝を基に失伝した腰廻等を起こしたのが「片山伯耆流柔術」。山口県岩国市のとある道場で数人の門下生が稽古をしている。
2024/04月

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 久々に稽古に行ってきました。私は久々ですが稽古は毎週行われています。今週は片山伯耆流。腰廻をまた初めてますが、どうやら先週から居合をやりだしたようです。

 居合をやりだしたそもそもの発端は、「腰廻をやってるんだから居合をやった方がいいかな?」という実にライトな動機から。当初は柳生心眼流をやっていましたが(今もやってますよ)、どうも外国チームが居合をやっていて日本に腰廻を習いにきているもんで、少し前から居合をやらないかと誘いを受けていたわけです。

 実は岩国でも片山伯耆流居合をやっているので、そちらを飛ばして外国チームとやるのも気が引けていたわけですが、その外国チームに教えていた先生もそう若くなく、今のうちに一度見せておいてもらった方がよいのではないかと思い立ったところ、師匠がやたらと乗り気になってそのうち習いに行こうということに。

 まあ、その前哨戦ってわけじゃないですけど、一応、こちらでも片山伯耆流居合を勉強しとこうかってとこじゃないですかね。

 実際にやってみると...これがけっこう大変。すでい柳生心眼流の捌きが身に付いてるもんで、それが出ないよう気を付けながらやらないと。それでも油断すると柳生心眼流の動きになってしまうので、いちいち確認しながら少しばかりやってみましたが...ムツカシイです。

 まあ、今年はどうやら居合も少し真面目にやるようになりそうなので、やはり刀を一振り求めておかないといけないかもしれません。居合刀もけっこういいお値段がするんですよね。

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 今週、ようやく稽古始めです。私の話ですけど。

 実際、稽古は1月の第2週から始まっておりますが、なにしろ寒いのと、調子がよろしくなかったということで昨日まで稽古に出ることができませんでした。

 たまたま寒さも和らいだとあって、そんなに辛い状況でもありませんでしたが、久しぶりに片山伯耆流柔術をやりました。やはりやってないとすっかり忘れるもので、最初は「???」って感じなのですが、やってるうちに思い出したりするもんで。

 こうやっていると元の型を守っていくってことがいかに難しいかが分かります。同じようにやっているのに動き一つでずいぶんと変わってきますからね。

 まだ寒さも続くので大変ではありますが、稽古への参加よろしくです。
 今週の稽古をもって今年の稽古は終了いたしました。来年は第2週目からとなりますので、稽古に参加される方はお願いします。ちなみに私は...ムリです。

 ちなみに今年最後の稽古は浅山一伝流の続きということでした。この流派もやっていくとなかなかおもしろいわけですが、なにぶん地味なものが多いわけです。時代劇の殺陣のようにはいかないですね。でも、そういったシーンの端々にしみ込ませる要素がたくさんあったりして、実際に技を取り入れながらやってみるときっと迫力のある殺陣になることでしょう。

 まあ、古流武術っていうのはそんなもんですね。以前にも書いたかと思いますが、敵と相対したときの対処方法ですから。技の名前もありますけどいちいち戦いの場で技名を叫びながらやるわけじゃありませんからね。いや、それはそれでおもしろいかもしれませんけど。

 「必殺!タツノオトシゴ!!」

 なんて叫びながら技を繰り出したら相手もビックリかもしれません。いわゆる「気合いをれる」っていうことに通じてそうですね。どうでもいいですけど当流はには「タツノオトシゴ」なんて技名はありません...多分。

 話はそれましたが、ここ数日、急に寒くなって稽古にも辛い日々となりました。

 ではた来年。よいお年を。

 片山伯耆流(居合)をされている吉岡先生のつてで先月あたりから2人ほど稽古にくるようになったが、どうやらこれまでのところ、楽しそうにやっている様子。先日、古流武術連合会の研修会があり、それにも参加したとのことだが、なかなか楽しかったとか。

 合気道をやっているというので、動きはなかなか良いようだ。後は柔術の動きに慣れてくれればずいぶんとよくなってくるのでは?と。

 彼らが現在やっているのが浅山一伝流。師匠がおられんときは私らも彼らの稽古に立ち会っているのだけど、師匠がおられるときは私はとりあえず自分のことをやっているわけで、今週は久しぶりに片山伯耆流をやっていた。

 片山伯耆流も居合や小具足だけでなく、いろいろとあるもので、最近はどちらかと言えば、そのいろいろの方が多いようで。本当はもう一度腰廻りをゆっくりやりたいところだけどなかなかそうもいかず。刀の扱いに慣れるため、付き合いのある柳生心眼流の先生から少しばかり基本を教わり細々とやってはいるのだが、これがまたなかなか。ただ、最近は片山伯耆流の刀捌きをずいぶん意識してやっているようなので、近々こちらも考えねばならんかなと。同じ剣術といえど、その考え方が違うと動きもここまで違ってくるものだなと思うわけです。

 個人的な感想としては、柳生心眼流を剛の剣とすれば片山伯耆流は柔の剣とでも言うことになるでしょうか。

 そんなことを考えながらやっているとけっこう面白いもので、いずれは片山伯耆流も教えを請うてみようか、と。まあ、その前にもう少し柔術の方をしっかりやっておかないとね。
 今週は久しぶりに稽古に行ってみました。師匠は今、ドイツだかイタリアだかに行ってるので我々だけで稽古ってことに。どうも先月から新しく2名ばかり稽古に参加していて、もしかしたら続くのかなあ、と。

 今は浅山一伝流をぼちぼちとやっているらしいのですが、私も久しぶりなもんで技を思い出しながら稽古するのを見ていたり。

 そこでふと思ったのが、「これはやるのが難しい」という技について。本来、古流武術においては「やるのが難しい技」ってないはずなのでは?と思うわけです。なにせ、実戦に使うべく練られた技なわけなので、やるのが難しいのでは実戦で役に立たないのでは?と。「やると危険な技」はたくさんあるんですけどね。

 そのあたりを考えながら技を見たりしてるわけですが、多分伝承の過程で何かが間違ったりとか、もったいつけるために意図的に入れられたのではないかとか考えたりするわけですよ。ただ、面白いのがその技だけでは完成しないこと。おそらく戦いの一連の動きの中での一つのパーツなわけですよ。いろいろと動いている中で技の動作が入ってくる。そのことで後の動きが有利になったりするわけですね。

 そんなことを考えながら技を見ているとこれがなかなか奥が深いなあと思ったり。
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