片山伯耆流は戦国時代の武将、片山伯耆守久安を始祖とする武術である。
居合、剣術、体術等の総合武術で片山流とも称するが、現在まで伝わるのは居合のみ。
最近になって、書伝を基に失伝した腰廻等を起こしたのが「片山伯耆流柔術」。山口県岩国市のとある道場で数人の門下生が稽古をしている。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ようやく稽古に参加できたわけですが、いつのまにやらというか、天神明進流やってます。ひさしぶりなもんで、すっかり忘れていたわけですが、やってるうちに「こんなもんかな」と思いだしてくるわけで。
今回はようやく腰も動くようになっての参加ではありますが、まだ若干の不安を抱えているだけに激しい動きは避けながら...それでもけっこう厳しい動きが出たりするもんです。
しかし、やっていて思うのは「継承されている流派は変化も大きいのでは?」ということです。やはり一つの流派となると全体的な特徴というものがあります。しかし、やっていると「本当にこの流派でこんな動きをするのかな?」と思うところがあります。しかし、師も先代からそのように習っているわけで、それを我々が教わっているわけですから「これ違うんじゃ?」とは言えないですね。
でも、やはり流派の体系的な動きから外れたものがあるのは事実。おそらくはどこかの時代で何かしらの変化があったと見るのが正解ではないかと思うわけですが、そうは言っても武術としては一つの技も洗練されて発展していくわけですから、変化したものが間違いというわけではないですね。ただ、元々がそうだったかと言うと、そうとは言い切れないのでは?と。
例えば「突き」。突いた拳が横になるのは空手の突きで古流では縦になるって言いますが、「突き」の時点でどうかと思ってみたり。普通、相手と対峙したときにどんな突きをします?腰のあたりで構えてまっすぐ突きますか?これができる人は相当訓練を積んだ人ですよ。普通はボクシングみたいになるでしょう。これは今も昔も変わらないんじゃないかと思うわけです。
じゃあ「短刀を持って突いているのか?」と言うとこれもやや「?」ですね。いきなり短刀はないでしょ。江戸時代になってから確かにいつでもどこでも刀を抜いてとはいかなかったようですが、だからと言って武士が短刀を振り回しますか?城内とかだと大小を差してってわけにもいかないでしょうから、脇差でという可能性はありますね。となると、「短刀の突き」ではなく「脇差での突き」というのが正解ではないかと。
そんなことを考えたりしながら、「この技だと実際はどうなるんだろうね」と、いろいろ想像しながらできるというのもいいもんです。
この日は4手ほど進めたわけですが、久しぶりにやってみるとけっこう新たな発見があったりして面白いもんです。
今回はようやく腰も動くようになっての参加ではありますが、まだ若干の不安を抱えているだけに激しい動きは避けながら...それでもけっこう厳しい動きが出たりするもんです。
しかし、やっていて思うのは「継承されている流派は変化も大きいのでは?」ということです。やはり一つの流派となると全体的な特徴というものがあります。しかし、やっていると「本当にこの流派でこんな動きをするのかな?」と思うところがあります。しかし、師も先代からそのように習っているわけで、それを我々が教わっているわけですから「これ違うんじゃ?」とは言えないですね。
でも、やはり流派の体系的な動きから外れたものがあるのは事実。おそらくはどこかの時代で何かしらの変化があったと見るのが正解ではないかと思うわけですが、そうは言っても武術としては一つの技も洗練されて発展していくわけですから、変化したものが間違いというわけではないですね。ただ、元々がそうだったかと言うと、そうとは言い切れないのでは?と。
例えば「突き」。突いた拳が横になるのは空手の突きで古流では縦になるって言いますが、「突き」の時点でどうかと思ってみたり。普通、相手と対峙したときにどんな突きをします?腰のあたりで構えてまっすぐ突きますか?これができる人は相当訓練を積んだ人ですよ。普通はボクシングみたいになるでしょう。これは今も昔も変わらないんじゃないかと思うわけです。
じゃあ「短刀を持って突いているのか?」と言うとこれもやや「?」ですね。いきなり短刀はないでしょ。江戸時代になってから確かにいつでもどこでも刀を抜いてとはいかなかったようですが、だからと言って武士が短刀を振り回しますか?城内とかだと大小を差してってわけにもいかないでしょうから、脇差でという可能性はありますね。となると、「短刀の突き」ではなく「脇差での突き」というのが正解ではないかと。
そんなことを考えたりしながら、「この技だと実際はどうなるんだろうね」と、いろいろ想像しながらできるというのもいいもんです。
この日は4手ほど進めたわけですが、久しぶりにやってみるとけっこう新たな発見があったりして面白いもんです。
PR
この記事にコメントする
質問です!
私は佐賀県で英語の教師をしております者です。私のアメリカの友人が柔術を16年、ここ数年は陳式太極拳も数年やっているのですが、以前から、20世紀初頭に東北の農村からハワイへ移り住み、柔術の檀山流の創始者となった者岡崎星史郎氏について個人的に研究しております。岡崎氏については、なかなか資料が少なく、研究は進まないのですが、最近、岡崎氏が1924年に5ヶ月間日本に里帰りし、青森から鹿児島まで日本を縦断する武者修行をし、檀山流の原形を作るのに役立てたのではないかということがわかったとのことでした。そこで、彼の質問は次の通りです。
1)岡崎氏は東北に起源を持つ天神明進流についても故郷ということで、渡米以前にも学んだことがあるのではないか、また、武者修行の際にも立ち寄ったのではないかと推測されますが、何かご存知ではありませんか?
当時(明治、大正)の福島にはもちろん道場があったかと思いますが、岡崎氏のことや当時の道場に何かご存知のことはありませんか?
2)現在、天神明進流の道場や継承者は福島、または東北の他の県にはいらっしゃらないのでしょうか?神奈川、東京、山口の三県だけでしょうか?
3)岡崎氏のことであれば、どんな小さな情報でも結構ですので、ご存知なことはございませんか?資料などどこかの道場、また個人でお持ちの方をご存知ではないですか?
以上ご質問です。最後になりましたが、この友人はアメリカ、カリフォルニア州、オークランド在住で、大変真面目に武芸に取り組んでいす青年です(現在三段です)。また、6年前には1年間、福岡市内で武芸留学をしました。日本の歴史、文化にも深い関心を寄せ、知識も豊富です。しかしながら日本語がまだまだ片言のため、友人である私が代筆しております。
もしお時間が許しましたら、ご返信頂けましたら大変嬉しく思います。
よろしくお願い致します。
Re:質問です!
コメントありがとうございました。回答が遅れて申し訳ありません。個人的にメールでの回答はしておりませんのでこの場にて回答いたします。
天神明進流兵法が関東から東北で行われており、私もその内容をHPにて見たことがあります。が、私が学んでいるものとは違うもののように思われます。
天神明進流は片山久安の長男が江戸にて心動流を開きそれが東北に伝わったものと理解しております。片山流自体は次男が継いでおります。
天神明進流自体はその伝承の過程でかなり分派していると聞いてますから、私が学んでいるものとKuni様がご存じのものが同じ流れのものではないかもしれません。私の師は47代師家を名乗っておりますが、片山流が13代であることを考えると、同時期の流派としては代替わりが早過ぎるように思われます。おそらく、私が学んでいるのはいくつかに分かれた中の一つかと思います。
また、宗家ではありませんから、師もあまりその歴史の過程を詳しく語ることがありませんでしたので、お尋ねの「岡崎星史郎」氏については残念ながら耳にしたことがありません。
もし、氏について調べるのであれば、関東の道場にお尋ねしたほうがよろしいのではないでしょうか?
天神明進流兵法が関東から東北で行われており、私もその内容をHPにて見たことがあります。が、私が学んでいるものとは違うもののように思われます。
天神明進流は片山久安の長男が江戸にて心動流を開きそれが東北に伝わったものと理解しております。片山流自体は次男が継いでおります。
天神明進流自体はその伝承の過程でかなり分派していると聞いてますから、私が学んでいるものとKuni様がご存じのものが同じ流れのものではないかもしれません。私の師は47代師家を名乗っておりますが、片山流が13代であることを考えると、同時期の流派としては代替わりが早過ぎるように思われます。おそらく、私が学んでいるのはいくつかに分かれた中の一つかと思います。
また、宗家ではありませんから、師もあまりその歴史の過程を詳しく語ることがありませんでしたので、お尋ねの「岡崎星史郎」氏については残念ながら耳にしたことがありません。
もし、氏について調べるのであれば、関東の道場にお尋ねしたほうがよろしいのではないでしょうか?