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 片山伯耆流は戦国時代の武将、片山伯耆守久安を始祖とする武術である。  居合、剣術、体術等の総合武術で片山流とも称するが、現在まで伝わるのは居合のみ。  最近になって、書伝を基に失伝した腰廻等を起こしたのが「片山伯耆流柔術」。山口県岩国市のとある道場で数人の門下生が稽古をしている。
2024/04月

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 今週は、ようやく片山伯耆流の稽古ができました。なかなか人が集まらないですからな。

 2手ばかりやったわけですが、これがなかなか演武会向きというかなんというか。今まではこれをやったことはなかったんですけどね。まあ、次に演武をやることがあれば試してみようか、と。

 片山伯耆流と言えば、4月29日の錦帯橋まつりで居合の演武があります。演武をされるのは私も知っている人で、「柔術はやらないのか?」と言われたのですが、なにぶん、ここのところろくに稽古もしてませんでしたし。それに、石畳の上で投げられるのはかんべん願いたいですからな。

 そんな話をしていると、「こんなところでもやるのが古流武術だろう」と。ま、確かにその通りですな。でも実戦でのそれは別に怪我しても死んでもいいわけですから。

 しかし。そういうところでの演武も可能であればやってみるのもいいkもしれませんな。
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 なかなか稽古に人が集まりませんね。

 まあ、もともと人数が少ないわけですから、そのあたりは仕方のないことですが、こうなると稽古の日を検討しなければなりませんかね?

 いつも刀ばっかり振っているわけにもいかないので、今回は片山伯耆流も少しばかりおさらいを。でないと、忘れてしまうからねえ。


 そして、再び告知。

 4月29日の錦帯橋まつりで片山伯耆流居合の演武があります。時間は11時からと13時から。約10分程度です。場所は吉香公園内の牡丹園、つまり岩国徴古館の前になります。徴古館では片山久安に関する展示も行ってますので、併せて見られてはいかがでしょうか?
 寒の戻りと言いますか、桜も咲き始めたというのに急に気温も低くなり、稽古でもなかなか気合いが合いらないのか、みなさん集まりがよろしくないですね。

 師匠もなにらや脚を痛めたそうで、本日は姿を見せず。

 結局、柳生心眼流を少しばかりやってました。居合の場合、柔術と違って型がかなりはっきりしてるわけですね。手順というかなんというか。そのあたりがけっこう気になるわけで。理想を言えば、例えば二人でやればシンクロのように同じ動きがそこにあるといいんでしょうかね。

 もちろん、それぞれのタイミングというか、間の取り方がありますから、完全にシンクロするということはないんでしょうけど、同じ型のはずなのにやってることがバラバラでは困るわけです。そのあたりをうまくまとめるにはなかなか。なにしろ、ことらの先生は遠方にいらっしゃるもんで。

 また、そのあたりを整理するために習いに行かねばなりませんかな。
 年末には少々早いとは思いますが、本日で本年の稽古納めです。

 今日は片山伯耆流を少々。やはり、ちょっとやってないと忘れてたりするもんです。まあ、すぐに思い出すんですけどね。

 それにしても、門下生が少ないため、今日は2人。できれば、もう少し人数がいるといいなあと思ってみたり。しかし、中途半端にやるのはご勘弁。熱心でも方向性が怪しい人もご遠慮願いたいなあと。ここいらのさじ加減が難しいわけですよ。

 別に、片山伯耆流を一般に広く広めたいわけではなさそうなので、人数が多ければいいってもんでもないが、それでも、今日のように稽古に参加する人数が少ないとなかなか稽古も進まないわけで。

 そんなこんなでわりとまじめに稽古を進め、無事終了。

 来年はたぶん第3週目あたりからになるでしょう。
 古流武術においては技には「表」と「裏」というものがある(ようだ)。

 「表」というのはいわゆる基本型。誰もがわりと容易に知ることができる。もちろん、最初は誰もこの「表」の技から教わることになる。

 ところがあるとき、「この技には裏があって...」と言われ、コレコレこうでと教わるものがある。俗に言う「口伝」というヤツだ。

 ここ最近は、この「口伝」の方をやっているようで、昨日もいくつかやってみた。しかし、一応「口伝」なのでモノに書き記すわけにはいかない(のが普通)。だから、「口伝」として伝わっているものが、どれだけ正確に伝えられているかは謎。実際にオリジナルのものを見ることはできないからな。

 しかも、この「口伝」は書き記されると「口伝」ではなくなる。だから、書いてしまったら大事に隠しておかなければね。そこから「秘伝」なんて言葉が生まれたのではないだろうかと思ってしまうのだ。おそらく「口伝」と「秘伝」とは同じもので記録があるかないかの違いではないだろうかと。

 本来、「口伝」のものは稽古により体に染み込ませて覚えるもの。そう考えると、毎日稽古しても足りないくらいだと思うが、今の時代、そこまでできないのも事実。となると、どこまで「口伝」が正確に伝えられていくのか、少々不安ではなある。
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