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 片山伯耆流は戦国時代の武将、片山伯耆守久安を始祖とする武術である。  居合、剣術、体術等の総合武術で片山流とも称するが、現在まで伝わるのは居合のみ。  最近になって、書伝を基に失伝した腰廻等を起こしたのが「片山伯耆流柔術」。山口県岩国市のとある道場で数人の門下生が稽古をしている。
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少し遅れましたが、9月21日、連休の真っただ中で演武会が行われました。


 今年は東広島ということで、ついいつもの調子で家を出てしまいましたが、高速が渋滞。


 しかも事故まで。



 やはり連休です。


 今回、当道場は柔術と合わせて居合をやることに。


 居合はお世話になっている先生がこの度、演武会に自らの道場で出られるということで、お手伝いというか、なんというか...


 そちらの方で演武させていただきました。


 いや、緊張しましたよ。



 先生の気合いに負けぬようにと頑張ってはみましたが...


 やはりにわか仕込みでは足元にも及びません。


 それにしても...



 演武の順番、なんとかなりませんかね。


 不遷流に挟まれるの、けっこう辛いんですけど。



 今回は、NHKが取材に来ておりまして、さっそく夕方のニュースで流れておりました。




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 最近はなにかと体罰の話題が多く、女子柔道でも体罰があったということで代表チームの監督とコーチが辞任しました。しかし、武道の稽古においてどこから体罰になりどこまでが指導の範疇に入るのかと言えばなかなかその線引きが難しいのではないかと思います。

 まあ、殴ったり蹴ったりというのは論外だと思いますが、例えば、素行不良を正すため平手打ちなんてことはままあることかとは思いますが、1回でも叩くと体罰とされるのか、それともそのくらいなら躾の範疇とみるのか。何回からはだめなのか。

 また、稽古中、やる気のない者に対して集中的に掛り稽古をさせたら体罰になるのか?体力の限界ませさせることはいけないのか?精神力を鍛えるとか目的があればOKなのか?

 例えば柔道で受身をおろそかにしている選手に1日受身の稽古ばかりやらせたら体罰になるのか?本人が居やがったら体罰になるのか?

 特に武道の場合、基本相手にダメージを与えるわけですから、指導として行ったことが体罰と言われる可能性が高くなるのではないでしょうか。

 技術的なものは理論的に説明してデモをみせて理解させるということに異論はありません。が、武道においてそれがどこまで必要かと言われると若干「?」となります。本来武道は広めるものではないですからね。見せる必要もありませんし、理論的に説明なんて「やらなきゃならないんですか?」ってもんじゃないでしょうか。知りたい人が教えを乞い、どういう形であれ見せてもらえればありがたいわけです。後は本人の努力で身につけるわけで、手取り足とり「こうやるんですよ」と教えてもらえるなんて思う方がおかしいと思うのです。

 そんなわけで、そもそも武道においては体罰だとかなんて起こる音大ではないと思うのですが、それをわざわざ指導して身につけてもらわないといけないからおかしな話になるんでしょうね。とくにオリンピック代表チームともなればみな強くなりたいと思う選手ばかりですし、その候補になりたいと思う選手もたくさんいrわけですから、監督やコーチはじっと見てればいいのではないですかね。やる気がなければやめてもらえばいいのです。代わりに代表になりたい選手はいくらでもいます。そして、監督の要求する強さをもった選手がいなければ代表なしでもいいではないですか。

 叩いてまで要求する強さを身につけてもらう必要もないと思うのです。結果、体罰だと騒がれ、自身の進退問題に発展するわけですから。

 そのうち、「叩くのは何回までならOK」とか妙なガイドラインができたりするんでしょうか。


 剣道では稽古のときに面、小手、胴を付けて行います。試合でも、それぞれが有効打突の部位とされ、それ以外のところを打っても無効となります。

 そうなると、剣道においては面、小手、胴をいかに相手よりも早く打つかが勝負の分かれ目となります。が、逆に言うとどんなに素早く打ってもそれ以外のところであれば有効打とみなされないわけです。

 が、ちょっと考えてみると、実戦において面、小手、胴を打つ意味とはなんでしょうか。

 一般的に斬り合いとなった場合、頭部や手首、胴を狙ったとしたらどうなるのでしょう。これはかなり難しいというか高度なことをしているのではないでしょうか。例えば、中段なり青眼に構えて相手を向かいあいます。まあ、この状態ではまず斬りかかることはできません。

 が、半歩ほど左右にかわしたときに見えてくるものは...腕ですね。腕を斬ったのではだめなんでしょうか?剣道ではそもそもそこは打ってはならないところになっています。が、実際に腕を斬っても効果はないのでしょうか?あるいは脚、太ももとかなんですけど、ここはだめなんでしょうか?

 確かに即致命傷とはならないでしょうね。でも効果はあると思うんですけどね。

 そう考えると、剣道は武道というよりも面、小手、胴を打つ競技となっているようです。上段から振り下ろすにしても、頭部を叩くよりも型口から袈裟にバッサリと斬った方が効果がありそうなんですけどね。でもこれは剣道の世界では無効なのです。頭部に打ち下ろさないと有効打突にはならないのです。

 まあ、その辺は今回は置いといてですね、剣道に置ける防具の意味です。一見、甲冑を簡素化したもののように見えますね。でも、剣道の有効打突を考えたときに、これは明らかに甲冑の代わりではないこおtが分かります。なぜなら、守られた部分を打つからです。守られた部分にダメージを与えるほどの打突を加えるというのは相当難しいですよ。実戦では防具に守られていないところをむしろ狙っていくわけですから。

 なぜ、これが気になったのかとい言いますと、面たれというんですかね、面に付いているべローンと伸びた部分です。若い人にあの部分をクルンと丸めるのが流行っているのですが、なんのためにそれが付いているのかと、剣道の先生が言われているのを聞いたわけです。

 甲冑の代わりであれば、あそこをクルンを丸めて首から肩を出してしまったのでは防具の意味がありませんよね。ベローンと伸ばしているのが正解。が、そもそも剣道における防具というのは甲冑の代わりではありませんよね。その昔は真剣や木刀にて防具なしで稽古をしていたわけです。そうなると、当然のことながらけが人続出なわけで、型稽古くらいしかできないわけです。

 そこで、獲物については、真剣や木刀から竹刀に替えて殺傷能力を落とし、さらに面や小手、胴を付けて当たったときの衝撃、痛みを軽減するものとして作られたものです。形が甲冑に似るのは致し方のないところですけど。そうやって、怪我をしないよう安心して打ちこむために防具があると思うのですが、当然、昔は肩や腕も打っていたんでしょうから、面たれを丸めていたら意味がありませんね。しかし、現在では面、小手、胴しか狙わないわけですから、まあ、外れて当たったときのこおを考えるとアレでしょうけど、基本、伸ばしてようが、丸まってようが問題はないですね。

 しかし、守られているのでは油断も生じるでしょうし、攻撃のときも中途半端になったりしますし。試合を見ていると、行くのか行かないのか分からない動きを良く見ます。で、打ちこまれても残心がないから1本にならない、と。でも実際は斬られているわけですよ。残心があろうとなかろうと。試合のときは必要なのかもしれませんが、稽古のときはもっと胴部を外してやってもいいんじゃないでしょうかね。


 ここ最近、剣道の稽古を見ててふと思うのですが、剣道では「打つ」という言葉よよく耳にします。「面を打つ」「小手を打つ」「胴を打つ」といった具合に。

 しかし、剣術においては「斬る」というイメージが強いですね。実際にモノなりを「斬る」わけですから。

 そうは言いながら、刀を「打刀」と言いますよね。となるとやはり刀は「打つ」ものなのかと思うのですが、どうしてもイメージ的に「斬る」となります。

 が...

 よくよく考えると、その昔、甲冑を身にまとい騎馬にて戦うときは太刀にて敵を打ち落としたわけですよね。甲冑をそうそう斬るのも難しいですから。

 そう考えると、刀は「打つ」もので打ったついでに切れるのか?と。

 と、思わず「打つ」という言葉に納得しかけて稽古を見ているもなかなか相手を斬るというところまではいかないなあと思いながらみていたのですが、考えてみると剣道では「斬る」ところまでは至らないわけです。

 
 剣道の稽古を見ていたときのこと。稽古が終わって子どもたちが並んで先生の話を聞き、最後に礼をして終わるのだが、そのときの礼の方法についての話となった。

 剣道では座礼のときに両手を同時に床に付けるのだそうだ。まあ、これは一般的な座礼の方法なのでどうということもないのだが、そのときに「居合では片方ずつ手を付いて...」と。で、「最初に左手を...」と言いながらこちらを見られたので、まさか答えないといけないのかなと思いながら、ちょっと答えることができなかったわけです。

 というのも、別に私は制定居合を学んでいるわけではないので、「居合は...」と言われてどっちとも答えられなかったわけです。片山伯耆流はたしか両手を同時に付いてましたよね。円心流も両手を同時に付いていたのではないかと...柳生心眼流も両手を同時だったような...

 当道場では座礼のときには片手ずつ付いていますけど、居合だからってわけではないですし。どちらでないといけないってことでもないと思うんですけどね。

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