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 片山伯耆流は戦国時代の武将、片山伯耆守久安を始祖とする武術である。  居合、剣術、体術等の総合武術で片山流とも称するが、現在まで伝わるのは居合のみ。  最近になって、書伝を基に失伝した腰廻等を起こしたのが「片山伯耆流柔術」。山口県岩国市のとある道場で数人の門下生が稽古をしている。
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 最近は剣道の稽古を見ていて足捌きについて考えるところが多いわけですが、今週は久しぶりに刀を振ったので、少し足捌きを確認してみました。

 両足の踵を浮かせて...というのはひとまず置いておいて、踏み込むときの足の動きを中心に。少しでも速く踏み込むためには足の動きが最小限であること重要なわけですが、それを体現するとほぼすり足で踏み込んでいくようになります。が、一説ではすり足での踏み込みは実戦では不利になることがある、と。

 通常、私たちが稽古をするときは道場で行うわけで、そこは畳敷きであったり板の間であったりするわけです。当然のことながら凹凸があるわけではなく、すり足での足捌きになんの問題もありません。が、野外でとなると、凹凸はもちろんのこと、石ころありぬかるみありと足元が不安定なこと間違いなしです。すり足で踏み込んでたりしたら引っかかってしまいそうです。

 そこで...

 足を上げるのがよいかというとそうでもありません。上げると体が崩れてしまいますから。じゃあどうしたらよいかとなると、「雪上での動き」がヒントになるのではないかと。雪上は滑るしハマるしそれは大変です。その中で常に姿勢を安定させられるような足捌きがよいのではないかと。

 まあ、これはあくまでも私見です。昔の武士たちがそのような動きをしていたかどうかは定かではありませんが...


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 昨今の柔道と言えば、もはや漢字ではなくローマ字で JUDO なんて書いたりします。意地の悪い人は「あんなもん武道ではない」と言いきったりもするもんですが、やはり嘉納治五郎師の創設した武道です。基本の部分は武道です。スポーツではありません。

 柔道の最大の功績は「受身」だと私は思っています。この受身のおかげで安全に稽古ができるわけですから。しかし、中学校で必須科目となってカリキュラムに悩んでいるようですが、少なくとも最初の2カ月は受身の稽古ですよ。受身のできない人を投げるのは怖いもんです。怪我させちゃいけませんから。

 こう書くと「柔道の投げで怪我?」と思ったりしませんか?それは大きな誤解というもの。受身がしっかりできているから投げられても安全なんです。確かに柔術と比べて投げ技も安全に投げられるよう工夫されています。が例えば背負い投げ。あれは背中から畳に落とすとありますが、円を描いて畳に落とすから安全なんです。このあたりが柔道のすごいところです。私らが同じことをやるととんでもないことになりますから。

 しかし、柔道は安全にできるスポーツではありません。れっきとした武術です。稽古で怪我してはいけないので安全にできるよう工夫されているだけです。だから本来の姿に戻せば、まさに殺人術といっていいですね。

 まあ、それは置いときまして、受身なんですが、コレを見せると「それは古流じゃありませんから」なんて言われたりします。まあ、そのとおりです。古流ではありません。柔道ですから。古流、古式の型を見せるときにはやるべきではないと思いますが、稽古のときは安全のためにやっておくべきですね。受身の稽古。いざってときに違います。

 オリンピックなど競技の世界ではもはや仕方のないことかもしれませんが、ポイント制のスポーツだと思ってみるしかないでしょう。しかし、柔道本来の姿は決してポイントを争うものではありませんし、道着の色を分けないと勝敗を見極めることができないようでは話になりません。

 ルールを無視して勝てばいいとは言いませんが、ルールの中にあっても柔道の基本は忘れてはならないでしょう。


 型の稽古をしているとなにかしら共通したものがあります。これは別に不思議なことでもなんでもなくて、人の動きを合理的に突き詰めていくと自然と同じような動きになっていくのだと思います。

 例えば、突き、蹴り、極め、投げという基本的な動きがあり、それが状況に応じて変化していくということになります。そして、相手の動きに合わせて技をかけて行くということになりますからその動きも似たようなものになってしまうわけです。まあ、動き方自体はいくらでもあるのでしょうけど、ムダを省いていくとやはりシンプルな動きになっていくのではないかと。

 となると、基本となる動きをマスターしてしまえばあとはその応用ということになりますから、稽古をしていくうえで基本となる動きをつかんでいくことが大事なのではないかと。

 確かに難しいです。よく「居合で一番大事なのは納刀」と言われますが、これには「?」です。でも確かに難しいのです。

 まだ、居合の世界にはまあ足の親指がかかったくらいなものですから、納刀がどれだけ大事なのかは分かりませんが、上手く納刀しないと刃が鞘にひっかかってみたりとかこすれまくってみたりとかろくなことになりません。「次に抜いたときにきちんと斬れるよう、刃を大事にしてください」という意味で大事だと言っているのであれば分かるような気がします。

 それを言うと抜刀のときもきちんと抜かないと鞘にひっかかったりするので、こちらの方がもっと大事だと思うんですけどね。だって少しでも速く抜けないと自分が斬られるわけですから。速く抜くためにはスムーズに抜けないとダメですよね。

 
 古流武術を学ぶのに型の稽古をする際、ちょっと気になることがあります。それは「型」に付けられた名前。学ぶときには技の名前は便利なんですが、実戦で使うときにはどうなのかなあ?と。

 実戦では相手も一人かも知れないし多数かもしれないし。必ず青眼で構えてくれつとは限らないし、武器も刀とは限らないし。型の通りに実践できる機会というのはいったいどれだけあるのか?と。

 しかし。例えば刀。基本的には「打ち下ろす」「払う」「斬り上げる」「突く」という動作になります。そうなると、受ける側も自然とそれに応じた動きになり、その動きに応じて相手にできる隙があり、そこを攻めて行く一連の動作が「型」になるのではないかと。

 最近は剣道の動きを見ながらそれを捌くことができるかと考えたりしているわけですが、結論から言うと「できる」わけです。というか、できなきゃウソですよね。そのための型なんですから。ただ、一つ分からないのは剣道で丸腰の相手にどういう動きをするのか?ってことですかね。なにしろ、見ているのが子どもの剣道ですから、指導者も自然とそれに即した動きになるのか、面打ちが基本なわけです。

 当たり前じゃないかと思われるかもしれませんが、実戦においてはどこを斬ってもいいですよね。相手の動きを封じることができればいいわけですから。しかも、きれいに入らないといけないとか、残心がないといけないとか剣道では1本を取るのが大変なわけですが、きれいに打てないと相手のダメージが0ってことはないですよね。そういう点から見ると剣道の土俵では柔術で対抗するのは大変かもしれません。

 ちょっと話はそれましたが、そういった相手の基本的な動きへの対応を集約したものが「技」であり、そこあkら違う動きに即応して技が変化していると考えるとなかなか面白いものです。


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