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 片山伯耆流は戦国時代の武将、片山伯耆守久安を始祖とする武術である。  居合、剣術、体術等の総合武術で片山流とも称するが、現在まで伝わるのは居合のみ。  最近になって、書伝を基に失伝した腰廻等を起こしたのが「片山伯耆流柔術」。山口県岩国市のとある道場で数人の門下生が稽古をしている。
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 剣道では稽古のときに面、小手、胴を付けて行います。試合でも、それぞれが有効打突の部位とされ、それ以外のところを打っても無効となります。

 そうなると、剣道においては面、小手、胴をいかに相手よりも早く打つかが勝負の分かれ目となります。が、逆に言うとどんなに素早く打ってもそれ以外のところであれば有効打とみなされないわけです。

 が、ちょっと考えてみると、実戦において面、小手、胴を打つ意味とはなんでしょうか。

 一般的に斬り合いとなった場合、頭部や手首、胴を狙ったとしたらどうなるのでしょう。これはかなり難しいというか高度なことをしているのではないでしょうか。例えば、中段なり青眼に構えて相手を向かいあいます。まあ、この状態ではまず斬りかかることはできません。

 が、半歩ほど左右にかわしたときに見えてくるものは...腕ですね。腕を斬ったのではだめなんでしょうか?剣道ではそもそもそこは打ってはならないところになっています。が、実際に腕を斬っても効果はないのでしょうか?あるいは脚、太ももとかなんですけど、ここはだめなんでしょうか?

 確かに即致命傷とはならないでしょうね。でも効果はあると思うんですけどね。

 そう考えると、剣道は武道というよりも面、小手、胴を打つ競技となっているようです。上段から振り下ろすにしても、頭部を叩くよりも型口から袈裟にバッサリと斬った方が効果がありそうなんですけどね。でもこれは剣道の世界では無効なのです。頭部に打ち下ろさないと有効打突にはならないのです。

 まあ、その辺は今回は置いといてですね、剣道に置ける防具の意味です。一見、甲冑を簡素化したもののように見えますね。でも、剣道の有効打突を考えたときに、これは明らかに甲冑の代わりではないこおtが分かります。なぜなら、守られた部分を打つからです。守られた部分にダメージを与えるほどの打突を加えるというのは相当難しいですよ。実戦では防具に守られていないところをむしろ狙っていくわけですから。

 なぜ、これが気になったのかとい言いますと、面たれというんですかね、面に付いているべローンと伸びた部分です。若い人にあの部分をクルンと丸めるのが流行っているのですが、なんのためにそれが付いているのかと、剣道の先生が言われているのを聞いたわけです。

 甲冑の代わりであれば、あそこをクルンを丸めて首から肩を出してしまったのでは防具の意味がありませんよね。ベローンと伸ばしているのが正解。が、そもそも剣道における防具というのは甲冑の代わりではありませんよね。その昔は真剣や木刀にて防具なしで稽古をしていたわけです。そうなると、当然のことながらけが人続出なわけで、型稽古くらいしかできないわけです。

 そこで、獲物については、真剣や木刀から竹刀に替えて殺傷能力を落とし、さらに面や小手、胴を付けて当たったときの衝撃、痛みを軽減するものとして作られたものです。形が甲冑に似るのは致し方のないところですけど。そうやって、怪我をしないよう安心して打ちこむために防具があると思うのですが、当然、昔は肩や腕も打っていたんでしょうから、面たれを丸めていたら意味がありませんね。しかし、現在では面、小手、胴しか狙わないわけですから、まあ、外れて当たったときのこおを考えるとアレでしょうけど、基本、伸ばしてようが、丸まってようが問題はないですね。

 しかし、守られているのでは油断も生じるでしょうし、攻撃のときも中途半端になったりしますし。試合を見ていると、行くのか行かないのか分からない動きを良く見ます。で、打ちこまれても残心がないから1本にならない、と。でも実際は斬られているわけですよ。残心があろうとなかろうと。試合のときは必要なのかもしれませんが、稽古のときはもっと胴部を外してやってもいいんじゃないでしょうかね。


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 今年はしばらく片山伯耆流と天神明進流を中心に進める予定だそうです。といっても、今年はあとわずかでした。

 稽古納めは来週となります。都合の付く方は参加してください。ちなみに私は参加できませんので昨日で稽古納めとなりました。

 とはいえ、古流武術の稽古というのは道場でやるのが全てではないですからね。というのが最近の考えとなっております。確かに型の稽古は道場でやるのが一番なんですけど、それ以外のものとなるとどこでもできるわけで。

 というのも、よくよく考えると武術というのは当時の武士にとっては「生きる術」なわけですから、特別なところで特別なことをしなければならないわけでもないのではないかと。今では「道着」なんてものを着て稽古をするわけですが、当時の人達はわざわざ特別な服装をしていたわけではなくて、今で言えばスーツを着たサラリーマンがジャケットを脱いでネクタイを外すくらいの感覚ではないかと思うわけです。

 そう考えると、武術を習得するための稽古自体、わざわざ道場に出向いて特別なことをしなくてもできるのではないかと。いわば、生活全てが稽古と思えば道場での稽古は終えましたが、まだまだ続くわけです。

 ちなみに年明けの稽古始めは第3週からとなりますのでお知らせしておきます。

 今年の稽古納めは12月12日の予定です。来年はまだ未定ですがいつもくらいからとなるでしょう。  詳細は分かればまたお知らせします。
 ここ最近、剣道の稽古を見ててふと思うのですが、剣道では「打つ」という言葉よよく耳にします。「面を打つ」「小手を打つ」「胴を打つ」といった具合に。

 しかし、剣術においては「斬る」というイメージが強いですね。実際にモノなりを「斬る」わけですから。

 そうは言いながら、刀を「打刀」と言いますよね。となるとやはり刀は「打つ」ものなのかと思うのですが、どうしてもイメージ的に「斬る」となります。

 が...

 よくよく考えると、その昔、甲冑を身にまとい騎馬にて戦うときは太刀にて敵を打ち落としたわけですよね。甲冑をそうそう斬るのも難しいですから。

 そう考えると、刀は「打つ」もので打ったついでに切れるのか?と。

 と、思わず「打つ」という言葉に納得しかけて稽古を見ているもなかなか相手を斬るというところまではいかないなあと思いながらみていたのですが、考えてみると剣道では「斬る」ところまでは至らないわけです。

 
 稽古というと自分でやるのが多いわけですが、人がやるのを見るのも稽古です。自分がやるときはどうしても、その所作を見ることが難しくなります。今はビデをを取って見返すということもできますけど。

 しかし、見取り稽古ということばがあるくらい、人がやるのを見ることも大事です。そこからいろいろなことを学ぶことができます。もちろん、最終的には、そこから学んだことを自ら実践することが必要なんですけどね。

 昔は、簡単に教えてもらえるわけでもなく、「見学」させてもらうというのも稽古のうちでした。そうして技を身につけていったと言われます。しかも、何度も見せてもらえるわけではないし、道場が遠方であれば、今のように何度も足を運ぶわけにもいきません。一度見せてもらったものは確実に覚える、そうした姿勢が自然とあったのではないかと。

 今は、一度見て分からないところをリプレイしてもらうこともできますし、少々道場が遠くても、何度も行くこともできます。というか、行かなくてもビデオかなんかでその動きを記録しておくこともできます。そういう意味では昔の人に比べて熱心さはなうkなってきているんでしょうか。

 なにより重要なのは...この時期からは見取り稽古は少々辛いですね。寒いですから。


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