片山伯耆流は戦国時代の武将、片山伯耆守久安を始祖とする武術である。
居合、剣術、体術等の総合武術で片山流とも称するが、現在まで伝わるのは居合のみ。
最近になって、書伝を基に失伝した腰廻等を起こしたのが「片山伯耆流柔術」。山口県岩国市のとある道場で数人の門下生が稽古をしている。
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昨日は久しぶりに片山伯耆流をやりました。本当に久しぶりですっかり忘れているほど。それでもやっていると徐々に思い出してはくるのですが、たまには見返しておかないといけないようです。
となると大小が必要になってくるわけですが、これは持ってくるとなるとけっこう面倒なんです。なにしろ2本持ってこなければならないわけですから。しかも、かさばるんですよね。2本まとめて収納できる袋があればいいんですけど、なかんかそういった便利なものがないようで。鍔を外しておけばいいんでしょうけど、いちいち鍔を付けたり外したりってものなにかと面倒な話です。
来週は当道場の2人が益田に出稽古に行くというのえ、こちらの稽古は休みとなります。しばらくは片山伯耆流が続くと思われます。
となると大小が必要になってくるわけですが、これは持ってくるとなるとけっこう面倒なんです。なにしろ2本持ってこなければならないわけですから。しかも、かさばるんですよね。2本まとめて収納できる袋があればいいんですけど、なかんかそういった便利なものがないようで。鍔を外しておけばいいんでしょうけど、いちいち鍔を付けたり外したりってものなにかと面倒な話です。
来週は当道場の2人が益田に出稽古に行くというのえ、こちらの稽古は休みとなります。しばらくは片山伯耆流が続くと思われます。
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本日、当道場にて古流武術連合会の講習会が行われました。講習会といっても、要はいろいろな流派が演武会以外にも交流を持ちましょうというノリで始められたと聞いていますが、今回は、広島、福山、益田の団体が参加されました。
内容はというと、今回は天神明進流のなかからいくつかの型をやって、型の稽古を行ううえでの意識の持ち方を中心に行っていました。
つまり、形どおりにできればよいとうことではなくて、もう少し一つ一つの所作の意味を確認しながら行うというもの。他流派の方には少々動きが厳しいところもあったようでしたが、そこは当道場の者も同じことで、慣れているからスムーズにできますが、実際はけっこう厳しいものがあります。
なにしろ「痛い」のです。動き自体はそんなに早いわけでもないんですが、痛いのが持続するといいますか、最初から最後まで痛いといいますか、まあ、痛いわけです。
午前11時から午後3時ごろまで正味3時間くらいでしたが、なかなかにハードな内容かなと。それにしても参加された方は熱心に稽古されていました。年に1回なので耐えられますが、こんなのが何回もあるとちょっときついかなと思う今日このごろ...
大きな怪我もなく無事に終了できました。
内容はというと、今回は天神明進流のなかからいくつかの型をやって、型の稽古を行ううえでの意識の持ち方を中心に行っていました。
つまり、形どおりにできればよいとうことではなくて、もう少し一つ一つの所作の意味を確認しながら行うというもの。他流派の方には少々動きが厳しいところもあったようでしたが、そこは当道場の者も同じことで、慣れているからスムーズにできますが、実際はけっこう厳しいものがあります。
なにしろ「痛い」のです。動き自体はそんなに早いわけでもないんですが、痛いのが持続するといいますか、最初から最後まで痛いといいますか、まあ、痛いわけです。
午前11時から午後3時ごろまで正味3時間くらいでしたが、なかなかにハードな内容かなと。それにしても参加された方は熱心に稽古されていました。年に1回なので耐えられますが、こんなのが何回もあるとちょっときついかなと思う今日このごろ...
大きな怪我もなく無事に終了できました。
毎年、古流武術連合会の参加団体で交流を兼ねて?研究会というか講習会をやっておりますが、今年は当道場が引き受けていたようです。そもそも、来年の春くらいにと聞いていたのですが、今週の日曜日だそうです。
今年は益田で行われたのですが、台風の影響もなく無事に開催されたようです。私は参加できなかったのが残念ですが。
来年の研究会は当道場で引き受けるそうなので、年が明けたら少し忙しくなりそうです。
来年の研究会は当道場で引き受けるそうなので、年が明けたら少し忙しくなりそうです。
剣道の稽古を見ていたときのこと。稽古が終わって子どもたちが並んで先生の話を聞き、最後に礼をして終わるのだが、そのときの礼の方法についての話となった。
剣道では座礼のときに両手を同時に床に付けるのだそうだ。まあ、これは一般的な座礼の方法なのでどうということもないのだが、そのときに「居合では片方ずつ手を付いて...」と。で、「最初に左手を...」と言いながらこちらを見られたので、まさか答えないといけないのかなと思いながら、ちょっと答えることができなかったわけです。
というのも、別に私は制定居合を学んでいるわけではないので、「居合は...」と言われてどっちとも答えられなかったわけです。片山伯耆流はたしか両手を同時に付いてましたよね。円心流も両手を同時に付いていたのではないかと...柳生心眼流も両手を同時だったような...
当道場では座礼のときには片手ずつ付いていますけど、居合だからってわけではないですし。どちらでないといけないってことでもないと思うんですけどね。
剣道では座礼のときに両手を同時に床に付けるのだそうだ。まあ、これは一般的な座礼の方法なのでどうということもないのだが、そのときに「居合では片方ずつ手を付いて...」と。で、「最初に左手を...」と言いながらこちらを見られたので、まさか答えないといけないのかなと思いながら、ちょっと答えることができなかったわけです。
というのも、別に私は制定居合を学んでいるわけではないので、「居合は...」と言われてどっちとも答えられなかったわけです。片山伯耆流はたしか両手を同時に付いてましたよね。円心流も両手を同時に付いていたのではないかと...柳生心眼流も両手を同時だったような...
当道場では座礼のときには片手ずつ付いていますけど、居合だからってわけではないですし。どちらでないといけないってことでもないと思うんですけどね。