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 片山伯耆流は戦国時代の武将、片山伯耆守久安を始祖とする武術である。  居合、剣術、体術等の総合武術で片山流とも称するが、現在まで伝わるのは居合のみ。  最近になって、書伝を基に失伝した腰廻等を起こしたのが「片山伯耆流柔術」。山口県岩国市のとある道場で数人の門下生が稽古をしている。
2024/04月

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 普段の稽古の中で刀や木刀を使うわけですが、よくあるパターンで刀で冗談から斬りかかられたときに受け流して...という動きがあるかと思います。このときに実際の動きを考えると受けは上段から相手を斬り下ろすわけです。そりゃあもうズバッと。

 そのときにちゃんと相手を斬ってますか?

 実際にやってみると意外に斬れないもんです。どうしても「万一、受け損なわれたら...」と考えてしまうわけですね。動きの中では取りに止められているので傍から見たぶんにはあまり分からないのですが、間違いなく寸止めしてます。寸止めどころか相当手前で止めてます。

 自分の間合いを計ってきちんと振り下ろすシュミレーションを繰り返してもそこに人がいるとどうも振り下ろす手が止まってしまうんですね。おかしな話ではありますが、取りに「ここまで振り下ろすよ」と何度も宣言し、実際に見せてようやく振り下ろすことができたわけです。

 動きの流れからして、取りの頭を叩いてしまう可能性はほとんど0なわけです。いや、間違い撒く0%と言ってもいいでしょう。せいぜい相手の指を叩いてしまうくらいでしょうか。

 そう考えると人を斬るというのは相当勇気というか覚悟のいる行為だということが分かります。


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 先週に引き続きです。

 どうも腰を痛めてから体を動かしていないからか、ずいぶんかrだが硬くなってきてます。どうもひねりに対応しにくくなっているのが気になるところですが、股関節がますます硬くなっているのがいけません。しばらくはストレッチに力をそそがないと。

 それにしても、天神明進流、受けに回ると痛いです。というか気を抜くと怪我しそうなので気が抜けません。ちょっと油断してると「おうっ!」てなりますからね。

 元の形からはずいぶん変わってはいるんでしょうけども、実践ではかなり有効と思われる技もあるので、型そのものの継承よりも実践で有効なものが伝えられてきたのかなと。ただ、ところどころで不思議な技がないわけではありませんが、そこは致し方のないところです。

 今でこそビデオで動画を撮り、モノによってはネットで簡単に見ることができますが、その昔は写真に撮っていればいいほうで、たいていは教わった人が文字で書き記しただけですから。そこで思い出せなければ終わりです。

 だけど、伝承の正当性は「先代からこう教わった」というのが大事なわけですから。伝えられたことと違うことをやったのでは承継されたものではなくなりますからね。

 しかし、体が硬いのは不利ですね。

 ようやく稽古に参加できたわけですが、いつのまにやらというか、天神明進流やってます。ひさしぶりなもんで、すっかり忘れていたわけですが、やってるうちに「こんなもんかな」と思いだしてくるわけで。

 今回はようやく腰も動くようになっての参加ではありますが、まだ若干の不安を抱えているだけに激しい動きは避けながら...それでもけっこう厳しい動きが出たりするもんです。

 しかし、やっていて思うのは「継承されている流派は変化も大きいのでは?」ということです。やはり一つの流派となると全体的な特徴というものがあります。しかし、やっていると「本当にこの流派でこんな動きをするのかな?」と思うところがあります。しかし、師も先代からそのように習っているわけで、それを我々が教わっているわけですから「これ違うんじゃ?」とは言えないですね。

 でも、やはり流派の体系的な動きから外れたものがあるのは事実。おそらくはどこかの時代で何かしらの変化があったと見るのが正解ではないかと思うわけですが、そうは言っても武術としては一つの技も洗練されて発展していくわけですから、変化したものが間違いというわけではないですね。ただ、元々がそうだったかと言うと、そうとは言い切れないのでは?と。

 例えば「突き」。突いた拳が横になるのは空手の突きで古流では縦になるって言いますが、「突き」の時点でどうかと思ってみたり。普通、相手と対峙したときにどんな突きをします?腰のあたりで構えてまっすぐ突きますか?これができる人は相当訓練を積んだ人ですよ。普通はボクシングみたいになるでしょう。これは今も昔も変わらないんじゃないかと思うわけです。

 じゃあ「短刀を持って突いているのか?」と言うとこれもやや「?」ですね。いきなり短刀はないでしょ。江戸時代になってから確かにいつでもどこでも刀を抜いてとはいかなかったようですが、だからと言って武士が短刀を振り回しますか?城内とかだと大小を差してってわけにもいかないでしょうから、脇差でという可能性はありますね。となると、「短刀の突き」ではなく「脇差での突き」というのが正解ではないかと。

 そんなことを考えたりしながら、「この技だと実際はどうなるんだろうね」と、いろいろ想像しながらできるというのもいいもんです。

 この日は4手ほど進めたわけですが、久しぶりにやってみるとけっこう新たな発見があったりして面白いもんです。

 先日、剣道の稽古を見学していたときのことです。足運びの説明をされていたときに「両脚は踵を付けないように浮かせて立つ」と説明されていました。そして「打ちこむときは後ろ足を蹴って...」と言われていたのですが、踵を付けてないのでは素早く踏み込めないのでは?と思ったわけです。

 私は剣道を習っているわけではないですし、見学しているだけなので、教えられていることにどうこう口をはさむつもりもないのですが、この点についてはいつか機会があれば質問してみようと思っていることではあります。構えのときに踵を浮かせて立つことで素早く動けるということを狙っているのかとは思うのですが、むしろ不安定になるのではないかなと思うわけです。

 本来人間の足は片側だけみても3点支持で立っています。母子球あたりと、小指側の付け根あたり、そして踵です。この3点で支持することで安定して立っているわけですが、剣道の構えでは踵を浮かせるので2点支持ということになります。両脚で立ちますから4点支持になりますね。

 この立ち方で素早く動こうとすると、踵を固定する力が必要ですから特に下腿にはかなりの力が必要になりそうです。さらに「後ろ足を蹴って」踏み込むわけですからさらに力が必要になりますね。この場合素早く踏み込むにはそうとう脚力を鍛えねばならないのではないかと。

 この点については、いつか話を聞くことができればと思っていますので、この疑問が解消されれば、また顛末を書いてみるかもしれません。

 柔道を実際に経験した私からすると目を疑いたくなるようなニュースですが、本当の話です。今年から柔道、剣道、ダンスのうち一つを中学校の授業で必須科目にするそうなのですが、多くの学校が柔道を選択しながら、「危険なので十分に安全に配慮した内容に」ということで、静岡県では「大外刈りは禁止」、「立ち技は約束組み手のみ」「乱取りは座って」という実に不思議な形になるようです。


 武道でなくてもスポーツは危険が伴うもの。学校の授業なので安全に配慮するのはわかるのですが、ここまでして柔道をやる必要がありますか?と。


 武道を必須化することで何を狙っているのか分かりませんが、道徳的なものであれば武道でなくても「礼法」を習わせればいいんじゃないですかね。


 その昔、柔道をやるのに「受身3年」と言われたくらいに、柔道の道に入った人は徹底的に受身の稽古をさせられたようです。なぜならば、受身など考えてできるようなものではなく、体に染み込んだ動きが自然にでるくらいでないと意味がないからです。そもそも投げられるために柔道をやるわけではないので、不意に投げられたときに体が反応しないようでは意味がありませんからね。


 投げ技なども最初は投げられて覚えるもの。「そんな考えは古いよ」と言われるかもしれませんが、実際に技を受けて分かることの方が多いのです。だから私は「古いけれでも今でも十分に通用する」考えだと思っています。


 元々は柔術から発展した柔道ですから、当然危険なわけです。これは間違いありまsねん。だからこそ、安全に稽古するために徹底的に受身の稽古をするわけです。


 しかし、学校の授業ではそこまでの時間もないのか、受身の稽古を十分にできないままに行うので結局危険が残るわけです。ちなみに大外刈りで倒されて亡くなったのは学校の授業ではなく、部活動でのことだったかと。しかも指導的な立場の方が技を掛けたと記憶しています。柔道では受身だけでなく、危険を回避するための要素が盛りだくさんです。


 例えば、投げ技では頭は円運動の中心にあり、衝撃がかかりにくいこと、地面に着く寸前に引き上げることで衝撃を緩和できること。それなのに頭を打つということは技をかける側が未熟ということです。柔道は危険であるがゆえに、いかに安全に稽古を行うかということは十分に研究されています。先の亡くなった例では指導する側が未熟であったと言うほかはありません。


 だからといって、柔道がまったく怪我なく安全にできるものではないことは当然ですから、わざわざ「安全に配慮して」というのは言うまでもないことで、それでも不安であればやらないという選択肢も持ち合わせるべきですね。剣道であれば、そこまで来県ではないと思うのですが、結局、「防具を用意できない」という理由(つまりお金がかかるから)で柔道を選択しているところが多数のようです。安全のために本来の形をゆがめてまで行うくらいなら多少お金がかかっても本来に近い形でやるのが教育的にはよいのではないかと思うんですけどね。


 武道を通して何を習得させたいのかということですが、簡単に人を殺傷してしまう現状を考えると、たたみに投げつけられることで、痛みを知ってもらえればいいんじゃないですかね。投げられる痛みだけでなく、「投げる痛み」を知ることができれば教育的な目的も達成できたと思うのですが。




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