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 片山伯耆流は戦国時代の武将、片山伯耆守久安を始祖とする武術である。  居合、剣術、体術等の総合武術で片山流とも称するが、現在まで伝わるのは居合のみ。  最近になって、書伝を基に失伝した腰廻等を起こしたのが「片山伯耆流柔術」。山口県岩国市のとある道場で数人の門下生が稽古をしている。
2019/11月

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 実はここのところ毎週稽古に参加しております。表題のとおり鉄扇の話になるわけですが、なかなか難しいです。鉄扇ですから、いわば鉄の棒で戦ってるようなもんですが、さすがに刀を相手にするとなかなか...

 と、ここ数回、刀を相手にやってて思ったのですが、できることなら逃げたいですね。刀を相手に向かって行くのはやはり怖いですよ。どうしても向かっていかねばならないとしたら...どれだけ思いきって踏み込めるかってとこですか。刀も2尺あまりの刃の中でも「切っ先3寸」と言われる部分で斬りますから、そこの間合いを外せば、まあ大事に至る可能性は減らせるかと。

 そして、突きでなければ手よりも先に刃が来ることはないですから、刀身をできるだけ見ないようにして手に集中。その動きに合わせて体を捌くことができれば刀に対応することも可能かと。

 言葉で書くと簡単そうですけど、実際はかなり難しいですよ。型稽古では刀の動きがあらかじめ予想でき、それに対応する動きも分かっているのでできるわけで、実戦ではどうなるか分からないですからね。だから、できることなら逃げたいわけです。

 武術の稽古をやってながらやたらと「逃げる」ってのはいかがなものかと思われるでしょうけど、別に相手を倒すことが目的ではないですから。やらずに済めばそれでいいわけで、そうもいかないときにどうするかってのが武術ではないかと思うわけです。

 そこで鉄扇に話を戻しますが、1尺足らずの鉄の棒と同じようなもんです。鉄ですから叩かれると痛いです。もちろん骨を砕くことくらいわけないですよ。しかも形が扇子なわけですから、相手もちょいと油断したりするわけです。そこをパシッとやられると...そりゃ痛いですよね。

 今の世はあからさまに武器など持てないわけですが、そんななかで鉄扇ってのは実はけっこう強力な武器になったりするのではないかと。


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 ここのところ続けて稽古に参加できております。というわけで、ずっと流れについていってるわけですが、今は天神明進流を再度おさらい。前に一度はやっていると思うのですが、間を開けるとけっこう忘れているものです。

 おさらいをして良いことと言えば、以前はよく分からなかったことが分かったりするということ。「なんでこんなことをやるんだろう?」と思っていたところが「こういうわけか」と妙に府に落ちてみたり。最初のころは「木を見て森を見ず」」の状態なんですよね。

 一つ一つの技の形ばかりをみているので、動きの意味が今一つよく分からなかったわけです。逆に「なんかこの動きはおかしいよな」と思うことも。先生が言うには「技も伝達されていく中で変わっていくから」と。同じ技でも大柄な人がやるのと小柄な人がやるのでは少し違って見えたりします。あるいは同じように動いていてもやはり微妙に違っていたり。

 まあ、そのくらいならそう大きく違ったりもしないんでしょうけど、まれに勘違いが伝わったりってのもあるようです。たまたま間違えたものを見てそれをそのまま伝えてしまったり。そうなると、不自然な動きが入ってしまうんですけど、それをそのまま引き継いでしまい、訂正されないままに伝えられてしまって、後になって「なんでこうなるの?」となるわけです。

 今となってはそれが間違っていたのかどうかも分からないので、「このように教わった」というものをそのまま伝えることになるのですが、どうしても不自然さが残ってしまいます。

 まあ、それも伝承の面白さと思えばその真贋のほどを想像したりして楽しむこともできそうです。


 天神明進流をやるとのことで、久しぶりに居捕の稽古です。ほとんど正座した状態で立つことがほとんどないので膝が痛くて...気が付いたら、足の指の皮まで剥けてました。

 畳でこすれますからね。膝はなんとかなりますが、足のyびの皮が剥けるとちょっと辛いですね。正座するのも一苦労です。考えてみたら昔は1本座ると次は立って...みたいな感じで座りっぱなしはあまり経験がなかったように思われます。と、こんなことを言ってると真面目に武道をされている方から「ふざけるな」と言われそうですが...

 正座自体はさほど問題ではないんですけどね。どうしてもその状態から半立ちになったりするもんで指がこすれるんですよね。一端、つま先を立てて、それから立てば何の問題もないんですけど、いきなり打ちかかられて反撃ってときにそんな悠長なことしてられません。というか、私に余裕がないだけなのか?

 そんなこんなでだいぶ治ってきましたが、次はちょっとばんそうこうが必要かもしれません。それにしてもずいぶんなまったものです。

 ちょっと遅れての稽古への参加でしたが、今週はイタリアから3名ほど稽古に参加されています。

 今回は馴染みのメンバーでひしぎ術を中心にやっていました。いつも思うのですが、彼らは手加減というものがないようです。常に力いっぱいというか手抜きなしでやっております。

 私らはというと、「怪我させるといけないから」というもっともらしい理由をつけてはちょいと手加減をしておりますが、本来は手加減なしでやった方がいいんですよね。もちろん、稽古で怪我をしたのでは話になりませんから、肝心なところではうまく裁かないといけませんが。

 技の構成はたいてい相手の攻撃に応じていくものなので、受ける側がきちんと攻めないとうまくいかないときもあるわけです。よくあることですが、相手に当ててはまずいと思って最初から外していると、応じる方もイマイチな感じになってしまいます。基本は体の中心線を狙っていくので、それを最初に理解しておけば、さほど問題はありません。

 彼らとはまた来年ということになりそうですが、楽しみです。


 久々の稽古参加となりましたが、ここのところひしぎを使っているようです。

 そもそもひしぎ術がいつから一つの体系的なものとして行われているのか興味があるところです。別に鉄扇術なるものがあるようですが、これと関係があるのでしょうか。

 短刀と似たような使い方をすることもあるようですが、短刀は刃があるますからね。ちょっと違いますね。棒や杖、半棒と似たようなところもあります。長さが違うだけなのでそういったところも出てくるんでしょうかね。

 とまあ、ひしぎ術の起源にはちょっと興味深いですが、一つ言えることは「痛い」わけです。そりゃそうですね、なんせ棒きれをゴリゴリと押しあてたり突いたりするわけですから。ちょっとした暗器のような使い方もできますし。

 基本は体術と同じなわけですが、やはり獲物を持ってるわけですから、その分、攻め方が豊富になってきます。実戦で役に立つかと言われたら...使い手次第ってところでしょうかね。先に言ったように、いろいろなものと似ているわけで、それらにも応用が効きますから。

 ただ...

 痛いんですよね。


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