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 片山伯耆流は戦国時代の武将、片山伯耆守久安を始祖とする武術である。  居合、剣術、体術等の総合武術で片山流とも称するが、現在まで伝わるのは居合のみ。  最近になって、書伝を基に失伝した腰廻等を起こしたのが「片山伯耆流柔術」。山口県岩国市のとある道場で数人の門下生が稽古をしている。
2019/11月

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 東広島で行われた古流武術連合会の演武会。9月13日の日曜にあったので、かれこれ1カ月前。報告を書いたつもりですっかり忘れてました。

 今回は世代交代が進んだのか、ずいぶんと若い人がいましたね。それともう一つ。戦国ブームなのかどうかのか、女性が多かったのも印象的。これは良いことなのかどうなのか...悩ましいところです。

 そういううちの道場は...相変わらずのメンバーではありますが、片山伯耆流を中心にやりましたよ。ただ、これまでの形と違って、技の解説などをふんだんに取り入れてのもので、かなり雰囲気の違うものになってました。

 これも新しいこころみということで、今後どのようになっていくのか楽しみではあります。
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 古流武術はできるだけ当初の形が残っているのが良い。が、問題は必ず変化しているということ。それは宗家によって変えられているかもしれないし、伝えられる過程で変わっているかもしれない。

 そもそも、人も体格や力が違う。だから、同じ技をやってもひとにより見え方が変わってくることはある。例えば柔道の「背負い投げ」。小さい人が大きい人を投げるときは普通に向きを変えるように相手の懐に入っていくように見えるだろう。しかし、逆だとかなり低く、しゃがみ込むように入っていくように見えるのではないか。

 入り方一つを取っても、どちらを見せられたかで、このように変わってしまう。先の例を見た人はなんとか普通に向きを変えるように入ろうとするのが正しい形だと思うだろうし、後の例を見た人はとにかくしゃがみ込もうとするだろう。

 要は「相手の懐に入って自分の腰に相手を乗せる」ということなのだ。この動作を先の二人が人に伝えたとき、違う形のものが伝わってしまう。これが技の変遷なのだが、当然、そのようなことはどの流派であれ起こっていることなのだ。

 では「古流」という定義をいつの時期に求めるかということなのだが、「江戸時代末期」なでということで、ほぼ異論はないのではないだろうか。これは武士という武術を必要とする集団がいたからである。つまり、武士の存在がなくなって武術の変遷は止まったと考え、「古流武術」とは江戸時代末期の形をそのまま伝えているものと考えることにする。

 これは明治時代に入って作られた武術なり武道を否定するものではなく、明治以降になっても変化を続けているものは「現代武術」として「古流」とはしないということだ。武術であることには違いないが「古流武術」とは言わない。「古流」を名乗るのは少なくとも、江戸時代末期までに形を整えられ、変化を止めているものを指すということだ。

 これを継承するというのは、いわゆる「伝統芸能」の継承に似ていると思う。その形をそのままに残し伝えていくのだが、それは形だけではなく、その流派の理念も伝えられなければならない。それにより、技の意味が分かるからだ。

 武術として活用するということ必ず変化を伴う。それはここで理由を説明することもないが、この場合、変化を伴ってもいいのだ。誤解してはならないのは「古流」とは区別して考えなければならにということ。例えば、私は片山伯耆流柔術を教わっている。「古流」と名乗るからにはこの教わったものをそのまま伝えなければならない。が、武術として活用するには自分のやりやすいように形を変えていいということだ。

 私の定義付けでいけば、「古流」でないものであっても、別の考え方によれば「古流」と呼べるのかもしれない。どちらが正しいということではないのだがこういう考え方もあるということで。
 日曜日は宮島の厳島神社で大日本武徳会主催の演武会が行われました。が、今回は我々の出番はナシです。代わりということではないのですが、イタリアチームが伯耆流居合術で参加しています。彼らも参加している他の流派にもまったくひけを取らないほどに、素晴らしい演武を見せてくれました。

 そして、彼らの後に柳生心眼流の演武が。やはり速いですね。あやうくカメラのフレームからはみ出してしまいそうなくらいです。それを見ながらやはりまじめに稽古をしなければ、と。

 それにしても、参加しない演武会に行くというのもなんだか妙な気分です。

 その夜はイタリアのメンバーと我々見学組とで宴会。あいかわらず微妙な英語での会話で盛り上がっていました。
 少々ごぶさたでしたが、6月29日(日)大阪で円心流主催の演武会があり、静空館も片山伯耆流で参加してきました。

 とは言っても、いつものごとく不動智心流あり、天神明進流ありとなったわけですが、さすがは大阪での開催だからか、円心流の威光なのか、全国各地、東は関東茨木、栃木から、西は九州長崎からの参加があり、居合もあれば柔術もあれば甲冑着たおいさんもいれば着物着た薙刀のおねーさんもいればで実に多彩な顔ぶれでした。

 しかし、技のキレはなかなかなもので見ていても飽きないものです。昼には槍術の体験稽古があったのですが、それを見ようと思っていたら昼ごはんを食べてたすきに終わってしまっていたのが残念でした。

 いつもは広島で見知った顔ぶれでやっているのですが、たまにはこういったところに来てみるのも刺激になっていいですね。
 現在、静空館道場では片山伯耆流、天神明進流、不動智心流を中心にやっているわけですが、じつはこの3流派は基をたどるとこの山口県にたどり着くのだそうです。

 片山伯耆流については開祖である片山久安が大阪の陣の後、吉川家に身を寄せていたことで、岩国を中心に広まったということです。現在は居合については熊本と大阪に伝えられているんでしたかね。

 そして、不動智心流ですが、どうやら大内氏の庇護の下に発展したものだとか。大内氏と言えば山口を中心に中世の大半にかけて大きな勢力を持っていた一族です。その下で栄えた流派ということですし、岩国も大内氏の勢力下にありましたから、これを岩国でやることは歴史的にもちょっとした意味があったりするのですかね。ただ、この流派が岩国に伝わっていたかどうかは分かりません。

 そして、天神明進流なのですが、この流派の開祖は片山久勝だと言われています。片山久勝は名前からして片山久安の関係者である気配が漂ってくるわけですが、久勝は久安の長男だそうです。

 ここがちょっと面白いところではあるのですが、本来なら長男の久勝が片山伯耆流を継いでいそうなもんですが、なぜか次男の久隆が承継しています。で、当の久勝はどうやら江戸に出て片山心働流を開きこれが東北地方に伝わり天神明進流になったというのです。

 この天神明進流ですが、実際にやってみるとかなり厳しいです。私のような体の硬い人間には拷問のような技が次々と出てきます。もっとも、古流の特徴というか基本は「相手の動きを封じる」ことですから、当然ではあしますけどね。

 もうひとつ、この流派は現在まで途絶えることなく伝わっていますので、ずいぶんと技の型が変わっている可能性があります。もっともそれを含めて現在に伝わっているものがこの流派だということになるのですが。

 しかし、江戸に出た久勝も岩国に残った久隆も今、それぞれの流派が同じところに集まっていくとは思ってもなかったのではないでしょうか。
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