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 片山伯耆流は戦国時代の武将、片山伯耆守久安を始祖とする武術である。  居合、剣術、体術等の総合武術で片山流とも称するが、現在まで伝わるのは居合のみ。  最近になって、書伝を基に失伝した腰廻等を起こしたのが「片山伯耆流柔術」。山口県岩国市のとある道場で数人の門下生が稽古をしている。
2019/11月

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 ようやく腰の調子も良くなってきたというのに仕事の関係上、なかなか稽古に参加できない日が続いています。

 ここでは「古流武術」をやっているわけですが、日本には「武術」と「武道」とがあります。実は、やることはさほど変わらないのですが、それぞれの筋の人からするとずいぶん「術」と「道」とは異なるようです。

 もともと「武道」というものがあったわけではなく、戦いの方法論としての「武術」があったことについてはどちらも異論がないようです。では「武道」というのはいったいどこから出てきたのでしょうか?

 
 一般的なイメージとしては「武術」に精神論的なものが入ってきて「武道」になったと考えてよさそうです。なぜならば、「武道」を説く人は必ずといって良いほどに精神論を強調するからです。「武道」には「礼儀・作法」が必須なのです。本来、「武術」には精神論というのは必要なさそうです。なんせ「戦いの方法論」ですから。

 ただ、武士というもの、なぜか礼儀・作法が大事だというわけで、「武術」に「礼儀・作法」がくっついて「武道」になったのではないかと。まあ、武士もお公家さんの中に入っていかねばなりませんでしたからね。

 ただ、この「武士道」に言う「礼儀・作法」はやはり良いものです。「敵に対しても礼を欠くべからず」っていいですよね。そこはかとなく品格が漂ってくるじゃないですか。これがないとただの殺し合いですから。いや、あっても殺し合いには違いないですけど。

 ただ、最近の「道」はちょっと精神論というか、礼儀・作法ばかりを強調しすぎているのではないかと思うわけです。例えば、「剣術」と「剣道」でなにが違うのかということです。真剣が木刀になり竹刀になっただけでななんら変わるところはないはずなのですが、「剣術」と「剣道」って明らかに違いますよね。どう見ても「剣術」は斬るなんですけど「剣道」は叩くなんです。上段から振り下ろして「顔だけ」を斬るってちょっと考えにくいんですけど、「剣道」の面は明らかに「顔だけ」を斬る技です。面を打つときの動きを見ていたら間違いなくそうです。「顔だけを斬ってます。まだ、斬るのなら良い方で、下手をすると「頭を叩いて」います。

 小手もそうで「小手を打つ」と言います。普通に考えたら「腕を斬る」んですよね。剣の動きを考えるに腕を斬り下ろしたら次は斬りあげるのが素直な動きではないかと。腕を斬ってさらに上段から頭を斬っていくという動きはちょっと難しいです。が「剣道」では普通にあります。

 やはり切れない竹刀でやるから「打つ」に変化したのかもしれませんが「剣道」においても「打つ」ではなくて「斬る」のだと指導してほしいなと思うわけです。礼儀・作法というのは「単なる殺人のための術」にならないためのものではないかと。ただ強ければよいというのではなくて、衝動に駆られて殺生を働かない「強い心」を持つために「礼儀・作法」があるのだと思いたいものです。

 そのあたりに「術」と「道」の違いを見出すことができれば良いなあと思うのですがいかがでしょうか。


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 講道館柔道と言えば、少しでも武道に興味があれば知らない人はいないでしょう。すでに「世界的なスポーツ」になってしまっていますから。今から書こうと思うのは「JUDO」ではなくて「講道館柔道」についてです。

 ここでは本来片山伯耆流を中心に古流武術について思ったことを書いてきましたが、「講道館柔道」は「古流」と言えるかどうかはやや疑問ですが、間違いなく「武術」です。今の柔道からはちょっと想像しにくいですけどね。

 私がその昔、柔道を習っていたときに寝技についてこう言われました。「寝技で30秒押えこんだら一本になるのは、それだけ押えていたら相手の首を取れるからだ」と。どういうことか分かりますか?柔術の必要性はまさにここにあったわけです。鎧兜を来た節を槍で突けば致命傷を与えられるでしょうけど、刀で斬ったくらいではそうそう体まで斬れるわけではなかったのです。もちろん鉄の塊で叩かれるわけですから、その意味ではダメージはありますよ。

 となると、相手を倒して組みしいた後に脇差にて鎧の隙間からブスリとやるわけです。つまり、柔道において寝技で30秒ってのはその時間であるということなのだそうです。が、考えてみてください。30秒も時間かけていられますか?倒したらとにかく腕なりを極めて動けなくしてブスリとやらなきゃ自分の身が危ないですよ。もちろん、倒された方文字通り必死ですよ。なにもしなきゃそれまでの命なんですから。

 立ち技についても、引き手、差し手をしっかり握って相手を放さぬようにと教わったのですが、これだと結局は力が勝つことになるわけです。柔よく剛を制すではないですね。小さい人が大きい人を投げたりするとよく言われたりもしますが、それをいうなら柔術の方がよほろ当てはまるのではないでしょうかね。力が全てであれば柔術なんか必要ないですから。

 そうは言っても、力がなければ戦場にて大人しく死を待つしかないのかってことにはなりませんね。誰もが死にたくないわけですし、あわよくば相手を倒して手柄を立てたいわけですから。そのための柔術なわけですからね。

 で、講道館柔道ですが、その成り立ちはやはり武術なわけです。ただ、武士だけが学んだらよいというのではなくいろんな人が学ぶための工夫が現在のような形になってしまったわけです。と、この続きはまた今度。

 いきなりではありますが、片山伯耆流居合の奥義といえば「磯之波」ですね。後陽成天皇天皇のときに「磯之波」を天覧に供し従五位の下に叙されたというものなのです。当時では大名格の位ですから、この技が相当にすごいものであったと言えるでしょう。まさに奥義ですよ。

 だけど、これがどのようなものであるのかは残念ながら分かりません。そもそも片山伯耆流は片山武助の代で失伝したので、宗家が一子相伝で伝えていたものであったとしたら、この奥義は今に伝わっていないことになります。

 「いやいやこの技は今に伝わっとりますが」と言われそうですが、確かに技というか型としては伝わっているようです。その型を見る機会があったのですが、ただ私が見たものはそれを見たという人が再現したものなので、どこまで正しいものかは分かりません。なにしろそれを見た直後に「実はこうなのかも知れん」と自分流に型をアレンジし始めましたから。が、「本当にこれなの?」というのが正直な感想です。

 普通に「奥義」と聞くとなにやらたいそうなものをイメージしがちですな。ひどいのになると奥義の後に「その2」とか「その3」とか出てきて、しまいにゃ「最終奥義」なんてものも出てきたりするわけですが、奥義ってのは「最強の技」ということではなくて、その流派の理念を体現したものと考えるべきかと。おそらく片山伯耆流に曰く「磯之波」というのは片山伯耆流の集大成に他ならないわけで、実際、これをもとに他の型が作られたと言われてますから。

 で、「磯之波」なんですけど、結局どんなものだったのか?時の権力者がこれを見て大名同格の位を与えたりするくらいですから、よほど感銘を受けたんでしょう。となると、そこで何を見せたのか非常に興味が沸くわけです。

 そこで片山伯耆流の基本の型を見てみると、相手の攻撃をかわしつつ一撃をくらわせ、さらに二の太刀でとどめを刺すという構成になっているかと思われます。となると奥義である「磯之波」もそういった構成の技ではないかと推測できるでしょうか。確かに、見せてもらった限りではそのようになっています。ここから他の型へと派生していったというのもうなずけるものがあります。しかし、片山伯耆流の中に流れる思想・理念を集約したもの、体現したものになっているかと言われるとなにか足りないというか、違和感が残るわけです。そこが解明できたらどうなるかというと、別にどうなるってわけでもないんですけどね。ただ、500年前の時代に生きた人が何を考えていたのかを知ることができるというのもロマンがあっていいんじゃないかと思うのです。

 まあ、片山伯耆流を研究している人はたくさんいることでしょうし、それぞれに思うこともあると思いますから、ここに書いてあることは「磯之波」らしき技を見た人の一見解であると思っていただければいいんじないですかね。

 どうしても一言いいたいというのでしたら、コメントをどうぞ。ただし、公開しますよ。責任ある発言をしたいかたは身元を明かした上でお願いします。念のため言っておきますが、今回書いたことが「正しい」と言うわけではありませんので、単純にこの文章を否定したい方はご遠慮ください。

 尾道の済法寺で古流武術連合会の演武会が開催されました。この済法寺は不遷流ゆかりの寺ということで不遷流の方、頑張ってましたね。地元の方たちも見学にこられてましたが、けっこう不遷流は浸透しているようです。

 見学に来られてた方の一人が私らが締めてる帯に「片山伯耆流」と書いているのを見て「鳥取から来られたんですか?」と。伯耆の国と言えば、今の鳥取県になりますからな。そこで簡単に片山久安の話をして、実は鳥取じゃないんですよなんて言ってたのだが、こんな話をしたのも初めて。

 演武会はというと、お寺の本堂でやったもんで、けっこう気を使ってやったもんです。仏様に飛び込んでしまったら大変ですからな。それでも不遷流の人達情け容赦なく投げ飛ばしてましたけどね。

 私らはというと、今回はほとんど投げるような技はやらなかったので問題はなかったのですが、実は今回、初めて大小を差しての演武となりました。刀だけとか脇差だけってのはよくあるんですが、大小を差すのは今まで経験がなく、実際にやってみるとけっこうやりにくかったり。

 それいしても暑い日で、会場が坂の上にあったりするもんで、それだけでけっこう疲れてしまったり。影に入るとけっこう涼しかったんですけどね。

 まあ、怪我もなく無事に演武会も終了したということで...そのあと、ちょっとした事件もありましたけどね。
 最近流行りつつあるらしいです。中身をさらりと見てみましたが、なるほどと思えると同時に違和感を感じてしまうのも確かです。そもそも、なんで介護に武術を使おうとするのか?というところが謎です。

 この古武術介護法の根底にあるのは「無理のない力の伝達」にあります。まあ、それをうまく体現しているのが古武術だといえるでしょうか。なにしろ、古武術の基本は1対多数でいかに生き延びるか?ということですからね。

 私が思うに古武術というよりも筋トレの理論を使って話をする方が、分かりやすいのではないかな?と。しかし、古武術とあるのでこちらの話で。

 しかし、この方法もまだ出たばかりで、古武術の理屈で説明しようとしているためか、一般の人にはちょっと理解しにくいのではないかと思うのだ。もちろん、古武術をやっている人には問題なく理解できるものだとは思いますけどね。古武術に限らず、柔道や剣道などを経験していない人にとってはあの動き、分かりにくいです。

 ただ、理論としては介護者の負担を軽減し、要介護者の動きも楽にするという点ではなかなかいいところを突いていると思います。もう少し、現実の介護現場での動きにマッチできればもっと使いやすくなるのではないかなと。ただ、武術でいうところの「表形」、つまり基本だけでは対応しにくいでしょうな。なにしろ、武術においては必ず型どおりの動きになるわけではないですし、相手も小さい人もいれば大きい人もいるわけです。介護の現場においても然りです。

 そうなると、古武術介護法においても、研究が進めば口伝とか奥義とか、いわゆる「応用編」が出てくるようになるんでしょうかね。こういったものはいち早く武道家の手を離れてほしいものです。でないと「○○流介護術」なんてものが出かねませんからね...なんてね。

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