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 片山伯耆流は戦国時代の武将、片山伯耆守久安を始祖とする武術である。  居合、剣術、体術等の総合武術で片山流とも称するが、現在まで伝わるのは居合のみ。  最近になって、書伝を基に失伝した腰廻等を起こしたのが「片山伯耆流柔術」。山口県岩国市のとある道場で数人の門下生が稽古をしている。
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 古流武術はできるだけ当初の形が残っているのが良い。が、問題は必ず変化しているということ。それは宗家によって変えられているかもしれないし、伝えられる過程で変わっているかもしれない。

 そもそも、人も体格や力が違う。だから、同じ技をやってもひとにより見え方が変わってくることはある。例えば柔道の「背負い投げ」。小さい人が大きい人を投げるときは普通に向きを変えるように相手の懐に入っていくように見えるだろう。しかし、逆だとかなり低く、しゃがみ込むように入っていくように見えるのではないか。

 入り方一つを取っても、どちらを見せられたかで、このように変わってしまう。先の例を見た人はなんとか普通に向きを変えるように入ろうとするのが正しい形だと思うだろうし、後の例を見た人はとにかくしゃがみ込もうとするだろう。

 要は「相手の懐に入って自分の腰に相手を乗せる」ということなのだ。この動作を先の二人が人に伝えたとき、違う形のものが伝わってしまう。これが技の変遷なのだが、当然、そのようなことはどの流派であれ起こっていることなのだ。

 では「古流」という定義をいつの時期に求めるかということなのだが、「江戸時代末期」なでということで、ほぼ異論はないのではないだろうか。これは武士という武術を必要とする集団がいたからである。つまり、武士の存在がなくなって武術の変遷は止まったと考え、「古流武術」とは江戸時代末期の形をそのまま伝えているものと考えることにする。

 これは明治時代に入って作られた武術なり武道を否定するものではなく、明治以降になっても変化を続けているものは「現代武術」として「古流」とはしないということだ。武術であることには違いないが「古流武術」とは言わない。「古流」を名乗るのは少なくとも、江戸時代末期までに形を整えられ、変化を止めているものを指すということだ。

 これを継承するというのは、いわゆる「伝統芸能」の継承に似ていると思う。その形をそのままに残し伝えていくのだが、それは形だけではなく、その流派の理念も伝えられなければならない。それにより、技の意味が分かるからだ。

 武術として活用するということ必ず変化を伴う。それはここで理由を説明することもないが、この場合、変化を伴ってもいいのだ。誤解してはならないのは「古流」とは区別して考えなければならにということ。例えば、私は片山伯耆流柔術を教わっている。「古流」と名乗るからにはこの教わったものをそのまま伝えなければならない。が、武術として活用するには自分のやりやすいように形を変えていいということだ。

 私の定義付けでいけば、「古流」でないものであっても、別の考え方によれば「古流」と呼べるのかもしれない。どちらが正しいということではないのだがこういう考え方もあるということで。
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