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 片山伯耆流は戦国時代の武将、片山伯耆守久安を始祖とする武術である。  居合、剣術、体術等の総合武術で片山流とも称するが、現在まで伝わるのは居合のみ。  最近になって、書伝を基に失伝した腰廻等を起こしたのが「片山伯耆流柔術」。山口県岩国市のとある道場で数人の門下生が稽古をしている。
2024/05月

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 水曜日は当たり前にありますが、金~月でイタリアチームが稽古にきます。会場の都合で土曜日は稽古ができません。金曜と月曜は多分午前中が稽古となりそうです。日曜は数日稽古の予定にしております。

 ただし、会場がいつもと違うので稽古に参加される人は気を付けてください。

 午前中は総合体育館の武道場、午後からは練武場で行う予定です。会場が離れてしまいますので、会場が分からない人は事務局まで聞いておいてください。
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 イタリアチームが6月4-7日の日程で岩国に来るようです。未確認ながら今回はイタリアから4人+日本の2人。海外チームにはドイツからのお客さんもいるとか。

 どうも今回は宮島の演武会への参加はないようなので、岩国での稽古が中心となりそうです。

 時間が開く人は稽古に付きあってください。そういう私も土日は稽古があれば参加しようかと。おっと、土曜の午前中は救急法の研修があるので無理でした...

 ここ最近は連休もあって稽古がないのですが、ぼちぼち向こうの情報も入ってくると思うのでこちらでの日程も再来週くらいには分かるんじゃないかと思うんですけどね。また新しい情報が入ったらこちらでお知らせすることにします。

 今日は久しぶりに稽古に出て、片山伯耆流の稽古などやっとりました。この片山伯耆流はと言えば、12代武助で流派の承継を断念しており、居合のみが伝承されているわけですが、片山家に残された資料から居合以外のものが再興されつつあります。

 今はそれらを頼りにやっているわけですが、なにぶん現在のように動画があるわけではなし、残されたものはといえば、文章なわけです。そこにはこの手を取って投げるだとか、どこを掴んで極めるとか書いてあるわけですが、文章なのでなかなかイメージしにくいところがあるわけです。

 しかし...それをもとにあれこれと考えながら技の形を復元していくわけですが、そのときに考えないといけないのは「片山久安」という人は小柄な人であったということです。まあ、小さい人が大きい人を相手にしてたんだろうということを念頭に置いておくことと、片山伯耆流の根底に流れる思想をくみ取っていくことが肝心。

 そして、今も伝承されている居合がとても参考になるということです。居合と体術は別物ではありませんから、居合での体捌きを見ることで体術の動きを推測することができます。それと伝書を併せて考えることで、技の形が復元されていくことになるわけです。

 今回も、書かれたとおりにやるとなんのことやらさっぱり分からない技があり、それをどう評価するのかあれこれと考えたのですが、とある一つの形に落ち着くことができました。もちろん、これをさらに精査しなきゃならんわけですが、おそらくは正解の形にかなり近いであろう、と。

 実は、片山伯耆流の柔術については竹之内流から派生したものであることが分かってますから、そのうちこちらも研究してみる必要がありそうです。

 先週は、雪が降るほどに寒くてとても稽古どころではなかったのですが、今週は若干寒さも和らぎ今日は稽古がありました。

 久しぶりに片山伯耆流をやったのですが、どうにも座ることに慣れていないので、最後には膝が痛くて...

 それでもかなり雰囲気がつかめてきたところで本日の稽古を締めたわけです。もう少し暖かくなってくれるといいんですけどね。

 しかし、片山伯耆流はなかなかに面倒なものです。なにしろ、剣術以外は一度途絶えてますから。ただ、開祖、片山久安がまさに文武両道であったというか、書を残しているんですね。そのおかげでかなりオリジナルに近いところで復元できているようです。

 流儀は途絶えずに伝わるのが一番なのですが、問題は必ず変化してしまうということ。これはある意味仕方のないことです。というのも、武術というのは舞や踊りではないので、形どおりをきちっとやればいいというものではないってことです。

 今日の稽古でも、2名参加でしたが、最初のつかみのところでさっそく二人が違うことをしてるわけですから。というか、同じことをしてるはずなんですが、結果違っているわけです。そういうことはままあることだと思うのですが、それが伝わってしまうと、次の代のところではさらに変わってしまうわけです。そうやって、だんだんと複雑怪奇な技が造りあげられてしまうのです。

 どこの流派でも言えることだと思いますが、「なんでこんなことをしてるんだ?」と思ったら、それは伝わるうちに変化したものだと思っていいのかもしれません。ただ、流儀を承継する身としては師匠の教えがすべてですから、たとえ「?」な技であっても教わったとおりを伝えねばなりません。が、その一方でオリジナルの形を探っていくことも大切なのかもしれないですね。それは承継した流儀としてではなく、その派生したものとして伝えればよいのではないでしょうか?

 本来武術というのは時の状況により変化していくべきものですが、「古流武術」は変化してはならないのです。それはすでの古典であって戦いのマニュアルではありませんから。そのあたりをしっかりと理解したうえで古流武術に取り組まなければ、結局何が「古流」なのか分からなくなってしまうんでしょうかね。

 

 最近流行りつつあるらしいです。中身をさらりと見てみましたが、なるほどと思えると同時に違和感を感じてしまうのも確かです。そもそも、なんで介護に武術を使おうとするのか?というところが謎です。

 この古武術介護法の根底にあるのは「無理のない力の伝達」にあります。まあ、それをうまく体現しているのが古武術だといえるでしょうか。なにしろ、古武術の基本は1対多数でいかに生き延びるか?ということですからね。

 私が思うに古武術というよりも筋トレの理論を使って話をする方が、分かりやすいのではないかな?と。しかし、古武術とあるのでこちらの話で。

 しかし、この方法もまだ出たばかりで、古武術の理屈で説明しようとしているためか、一般の人にはちょっと理解しにくいのではないかと思うのだ。もちろん、古武術をやっている人には問題なく理解できるものだとは思いますけどね。古武術に限らず、柔道や剣道などを経験していない人にとってはあの動き、分かりにくいです。

 ただ、理論としては介護者の負担を軽減し、要介護者の動きも楽にするという点ではなかなかいいところを突いていると思います。もう少し、現実の介護現場での動きにマッチできればもっと使いやすくなるのではないかなと。ただ、武術でいうところの「表形」、つまり基本だけでは対応しにくいでしょうな。なにしろ、武術においては必ず型どおりの動きになるわけではないですし、相手も小さい人もいれば大きい人もいるわけです。介護の現場においても然りです。

 そうなると、古武術介護法においても、研究が進めば口伝とか奥義とか、いわゆる「応用編」が出てくるようになるんでしょうかね。こういったものはいち早く武道家の手を離れてほしいものです。でないと「○○流介護術」なんてものが出かねませんからね...なんてね。

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