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 片山伯耆流は戦国時代の武将、片山伯耆守久安を始祖とする武術である。  居合、剣術、体術等の総合武術で片山流とも称するが、現在まで伝わるのは居合のみ。  最近になって、書伝を基に失伝した腰廻等を起こしたのが「片山伯耆流柔術」。山口県岩国市のとある道場で数人の門下生が稽古をしている。
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 演武会に向けての最終的な調整です。

 お互いの業を確認して、あとは流れをチェック。そして、技を一つ一つ確認して無理なくできてるかどうかを。

 やはり見せるわけですから、どこを見せるか、どう見せるかを考えておかなければなりません。重要なところは見せられませんからね。

 いよいよ演武会は日曜ですが、まあなんとかなりそうです。
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 昨日の稽古でようやく決まりましたよ。

 天神明進流で3本。足首のねんざからようやく解放されつつある今日このごろで、まだ十分な動きができないわけですが。

 しかし、天神明進流、居捕りを除くとなんとやりにくいものです。演武のときはたいてい居捕りだったからな。しかも、右足での蹴りが入る技が多くて、今回はこれもNG。とまるとますますできるものが減ってくるわけで。

 まあ、そんな中でなんとか決まり、一応の形もできて、あとは演武会に向けて調整するだけ。

 しかし、今は新型インフルエンザが大流行。果たして無事に演武会が行われるのだろうか?


お知らせ


 ようやく、宮島の演武会のDVD(試作品)できました。ちょっと完成品まではもう少しかかりそうですが、関係者の方にはそのうちとどけますのでいましばらくお待ちください。
 来月、東広島で演武会があります。

 ということで、何やるか決めなきゃならないということで。


 2週間前に足首を捻挫してしまい、未だ正坐ができないということで、立相を中心に。4本ばかりやるということで、私は天神明進流を。いつもならこの時点で2本ばかりは決まっているのだけど、なにぶん居相なもんで、これは無理だな、と。


 しかし、演武会での技となるとけっこう限られてくるもんで、1本はちょっと難しいかなと思いながら選択。いや、本当に難しいですよ。


 まあ、そんなこんなでとりあえず技は決まりました。8月いっぱいは稽古できないので、9月に入ったらまじめにやらないと。
 古流武術はできるだけ当初の形が残っているのが良い。が、問題は必ず変化しているということ。それは宗家によって変えられているかもしれないし、伝えられる過程で変わっているかもしれない。

 そもそも、人も体格や力が違う。だから、同じ技をやってもひとにより見え方が変わってくることはある。例えば柔道の「背負い投げ」。小さい人が大きい人を投げるときは普通に向きを変えるように相手の懐に入っていくように見えるだろう。しかし、逆だとかなり低く、しゃがみ込むように入っていくように見えるのではないか。

 入り方一つを取っても、どちらを見せられたかで、このように変わってしまう。先の例を見た人はなんとか普通に向きを変えるように入ろうとするのが正しい形だと思うだろうし、後の例を見た人はとにかくしゃがみ込もうとするだろう。

 要は「相手の懐に入って自分の腰に相手を乗せる」ということなのだ。この動作を先の二人が人に伝えたとき、違う形のものが伝わってしまう。これが技の変遷なのだが、当然、そのようなことはどの流派であれ起こっていることなのだ。

 では「古流」という定義をいつの時期に求めるかということなのだが、「江戸時代末期」なでということで、ほぼ異論はないのではないだろうか。これは武士という武術を必要とする集団がいたからである。つまり、武士の存在がなくなって武術の変遷は止まったと考え、「古流武術」とは江戸時代末期の形をそのまま伝えているものと考えることにする。

 これは明治時代に入って作られた武術なり武道を否定するものではなく、明治以降になっても変化を続けているものは「現代武術」として「古流」とはしないということだ。武術であることには違いないが「古流武術」とは言わない。「古流」を名乗るのは少なくとも、江戸時代末期までに形を整えられ、変化を止めているものを指すということだ。

 これを継承するというのは、いわゆる「伝統芸能」の継承に似ていると思う。その形をそのままに残し伝えていくのだが、それは形だけではなく、その流派の理念も伝えられなければならない。それにより、技の意味が分かるからだ。

 武術として活用するということ必ず変化を伴う。それはここで理由を説明することもないが、この場合、変化を伴ってもいいのだ。誤解してはならないのは「古流」とは区別して考えなければならにということ。例えば、私は片山伯耆流柔術を教わっている。「古流」と名乗るからにはこの教わったものをそのまま伝えなければならない。が、武術として活用するには自分のやりやすいように形を変えていいということだ。

 私の定義付けでいけば、「古流」でないものであっても、別の考え方によれば「古流」と呼べるのかもしれない。どちらが正しいということではないのだがこういう考え方もあるということで。
 正直言うと、ひしぎ術の稽古ほどいやなものはないですね。なにしろ痛いですから。

 すりこぎみたいな棒きれで腕といわず体といわずゴリゴリやるわけですよ。痛くないわけがないじゃないですか。

 まあ、それでも10本ばかしやりましたよ。

 もっとも、このひしぎ術は意外と実戦向けなもので、別にひしぎを使わなくても他のにたようなもので代用ができますから。ただ、気を付けないと痛いですからな。ケガなどさせぬように気を付けないと。

 詳細はここでは書けませんのであしからず。
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