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 片山伯耆流は戦国時代の武将、片山伯耆守久安を始祖とする武術である。  居合、剣術、体術等の総合武術で片山流とも称するが、現在まで伝わるのは居合のみ。  最近になって、書伝を基に失伝した腰廻等を起こしたのが「片山伯耆流柔術」。山口県岩国市のとある道場で数人の門下生が稽古をしている。
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 先週は、雪が降るほどに寒くてとても稽古どころではなかったのですが、今週は若干寒さも和らぎ今日は稽古がありました。

 久しぶりに片山伯耆流をやったのですが、どうにも座ることに慣れていないので、最後には膝が痛くて...

 それでもかなり雰囲気がつかめてきたところで本日の稽古を締めたわけです。もう少し暖かくなってくれるといいんですけどね。

 しかし、片山伯耆流はなかなかに面倒なものです。なにしろ、剣術以外は一度途絶えてますから。ただ、開祖、片山久安がまさに文武両道であったというか、書を残しているんですね。そのおかげでかなりオリジナルに近いところで復元できているようです。

 流儀は途絶えずに伝わるのが一番なのですが、問題は必ず変化してしまうということ。これはある意味仕方のないことです。というのも、武術というのは舞や踊りではないので、形どおりをきちっとやればいいというものではないってことです。

 今日の稽古でも、2名参加でしたが、最初のつかみのところでさっそく二人が違うことをしてるわけですから。というか、同じことをしてるはずなんですが、結果違っているわけです。そういうことはままあることだと思うのですが、それが伝わってしまうと、次の代のところではさらに変わってしまうわけです。そうやって、だんだんと複雑怪奇な技が造りあげられてしまうのです。

 どこの流派でも言えることだと思いますが、「なんでこんなことをしてるんだ?」と思ったら、それは伝わるうちに変化したものだと思っていいのかもしれません。ただ、流儀を承継する身としては師匠の教えがすべてですから、たとえ「?」な技であっても教わったとおりを伝えねばなりません。が、その一方でオリジナルの形を探っていくことも大切なのかもしれないですね。それは承継した流儀としてではなく、その派生したものとして伝えればよいのではないでしょうか?

 本来武術というのは時の状況により変化していくべきものですが、「古流武術」は変化してはならないのです。それはすでの古典であって戦いのマニュアルではありませんから。そのあたりをしっかりと理解したうえで古流武術に取り組まなければ、結局何が「古流」なのか分からなくなってしまうんでしょうかね。

 

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