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 片山伯耆流は戦国時代の武将、片山伯耆守久安を始祖とする武術である。  居合、剣術、体術等の総合武術で片山流とも称するが、現在まで伝わるのは居合のみ。  最近になって、書伝を基に失伝した腰廻等を起こしたのが「片山伯耆流柔術」。山口県岩国市のとある道場で数人の門下生が稽古をしている。
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 2週間ぶりの稽古でしたが、参加者も多くなんとなく居合から入って少し違く方向に。

 そこで出てくる考え方が最近剣道を通して見えてきた考え方とやはり似ている部分もあり、一つ一つの型について考えさせられることがあったり。

 居合もほとんどが江戸時代を通して洗練され、実戦的でないようなものも見受けられるわけですが、その中にも開祖の考えが取りこまれているのは事実だと思うのです。

 今は型の動きの流れを通してその意味するところを考えているわけですが、そこに必要なのはその当時の時代背景ではないですかね。現代のモノの考え方で当時の動きを見てどれだけ正確にその意味を理解できるかと。

 生活様式も思考形態も全く違う時代のものですから、そこを踏まえて検証しないとなかなか納得のいく道筋が見えてこないのかもしれません。

 幸い、片山伯耆流は書伝が残されており、また、居合が現代まで伝承されていることから、型の意味を考えるには大変助かるわけです。もちろん、書に残すというのはおそらく「ここは変わってもらっては困る」という基本の部分でそれだけが伝わればひとまず「形は残る」というものだと思うわけです。真髄の部分はやはり誰の目に触れるか分からないわけですから口伝として相応の人にだけ伝えられたのではないかと。

 現在は、ひとます形が残っているわけですから、そこからいかに真髄の部分を引き出すか、それを求めてみなさん真剣に研究されていることだと思うんですけど、いかんせん開祖である片山久安に関する情報が少ないんですね。

 晩年は客分として岩国藩に落ち着いていたわけですし、藩の剣術指南もしていたわけですから、もっと記録があっていいと思うのですが、どういうわけかなかなか見つからないわけです。

 そのあたりが分かれば現在やっている腰の廻の理解にもずいぶん役立つのではないかと思うんですけどね。

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