片山伯耆流は戦国時代の武将、片山伯耆守久安を始祖とする武術である。
居合、剣術、体術等の総合武術で片山流とも称するが、現在まで伝わるのは居合のみ。
最近になって、書伝を基に失伝した腰廻等を起こしたのが「片山伯耆流柔術」。山口県岩国市のとある道場で数人の門下生が稽古をしている。
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多分、今年初めての稽古です。確か、昨年は半棒などやってたような気がしたのですが、12月に入って一度も稽古に参加できないうちにどうやら方向が変わっていたようで...片山流でした。
片山流といえば居合が有名ではありますが、もともとは総合武術なわけですから刀だけではありません。ということで、いろいろとやっているわけですが、今日はなかなか理解するのが難しい型でした。途中で基本設定を忘れてしまうわけですよ。それでなんとかやろうとするので、きちんとかかるはずもなく...
あれこれと試しているうちに「そう言えば最初の設定が...」と。ここが意外と肝心なところでこれを抜かしてやったのでは話にならないわけです。そして相手の動きも大事なわけで、これを考えずにやるから変な形になってしまったり。相手の動きをきちんと取りこんでやっていくと上手くいくわけです。これを無視して自分の動きの中だけで考えるとやたらと理解に苦しむ動きをしなきゃならないんですな。
そこをうまく頭の中で組み立てることができるかどうか。見たまんまをやっただけではなんのことやら分からん型になってしまったり。最後の詰めのところで、どうしても納得できないところがあったわけですが、これもきちんとお互いの動きを整理してみるとよどみなく技がかかるんですけどね。
片山流といえば居合が有名ではありますが、もともとは総合武術なわけですから刀だけではありません。ということで、いろいろとやっているわけですが、今日はなかなか理解するのが難しい型でした。途中で基本設定を忘れてしまうわけですよ。それでなんとかやろうとするので、きちんとかかるはずもなく...
あれこれと試しているうちに「そう言えば最初の設定が...」と。ここが意外と肝心なところでこれを抜かしてやったのでは話にならないわけです。そして相手の動きも大事なわけで、これを考えずにやるから変な形になってしまったり。相手の動きをきちんと取りこんでやっていくと上手くいくわけです。これを無視して自分の動きの中だけで考えるとやたらと理解に苦しむ動きをしなきゃならないんですな。
そこをうまく頭の中で組み立てることができるかどうか。見たまんまをやっただけではなんのことやら分からん型になってしまったり。最後の詰めのところで、どうしても納得できないところがあったわけですが、これもきちんとお互いの動きを整理してみるとよどみなく技がかかるんですけどね。
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