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 片山伯耆流は戦国時代の武将、片山伯耆守久安を始祖とする武術である。  居合、剣術、体術等の総合武術で片山流とも称するが、現在まで伝わるのは居合のみ。  最近になって、書伝を基に失伝した腰廻等を起こしたのが「片山伯耆流柔術」。山口県岩国市のとある道場で数人の門下生が稽古をしている。
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 今週も柳生心眼流と不動智心流をやりましたが、なかなか間合いを見極めるのが難しいですね。

 人が変われば間合いも変わるわけですが、慣れてないとなかなかこのあたりの調整がうまくいかないのです。この間合いは、きっと意識しなければ自然にとるものだと思うのですが、こうやって稽古のときだとそれができないわけです。

 その理由の一つは「稽古のときは安全」という意識があるからです。つまり、技をかけるときに受けがまず突きや蹴りを出してくるわけですが、本気で突いたり蹴ったりするわけではないんですね。だから、失敗しても痛い目にあうことはない、と。

 ところが、いきなりナイフを向けられたりしたら...

 とっさに構えるのですが、そのとき無意識のうちに安全な距離をとろうとします。それが、その人の間合いなのです。これは相手が素手のとき、ナイフを持っているとき、刀を出したとき(まあ、これは普段はありませんが)と状況によりその間合いは変わってくると思います。

 なぜなら、きちんとかわせないと自分が痛い目を見るからです。

 今回は、最初に寸止めをするのか、本気で当てるのかを言ってから突きを出しましたが、その効果ははっきり出てしたわけです。寸止めだとうまくかわせるのに、当てるとなるとうまくかわせないんですね。

 これは、「寸止め」⇒当たらない⇒型どおりに動ける、「当てる」⇒逃げなければ⇒型どおりに動けない、となるのですが、型どおりに動けば間違いなくかわせるわけです。なぜなら、どこを狙っているのかが分かっているからです。実際には突きがくるのか、蹴りがくるのか、どこを狙ってくるのかわからないのですが、稽古では決まってますからね。

 それでも、型どおりに動けないのはやはり恐怖心があるから。それはすなわち、自分に自信がないから。こればっかりは稽古を通して付けていくしかないんですけおどね。
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