片山伯耆流は戦国時代の武将、片山伯耆守久安を始祖とする武術である。
居合、剣術、体術等の総合武術で片山流とも称するが、現在まで伝わるのは居合のみ。
最近になって、書伝を基に失伝した腰廻等を起こしたのが「片山伯耆流柔術」。山口県岩国市のとある道場で数人の門下生が稽古をしている。
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昨日はみなさん忙しかったのか、来られませんでしたね。先生が来られましたので、柳生心眼流を少しやったわけですが、そこで抜刀など何点か確認しております。
ちなみに、昨日をもって今年の稽古は終了しました。来年はまだ未定なのですが、決まり次第連絡がいくと思いますのでまた参加してください。
ちなみに、昨日をもって今年の稽古は終了しました。来年はまだ未定なのですが、決まり次第連絡がいくと思いますのでまた参加してください。
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本日は稽古があります。
一応、19時からの予定です。もしかしたら30分くらい遅れるかもしれません。寒くなってきたのですが、多分、来週あたりが稽古納めになりそうな気がしますので、都合が悪くなければ参加しておいてください。
一応、19時からの予定です。もしかしたら30分くらい遅れるかもしれません。寒くなってきたのですが、多分、来週あたりが稽古納めになりそうな気がしますので、都合が悪くなければ参加しておいてください。
ぼちぼち年末で忙しくなってきたのか、なかなか稽古に参加される方が少ないですね。昨日は3週間ぶりくらいに稽古に参加してきましたが、集まりがよろしくないと、広い道場では寂しい限り。なにしろ、師範はおろか師範代すら来てませんから。
それは置いといて...
昨日は不動智心流を2手ばかり進めてみました。この2手は「似て非なるもの」というか、同じような動きをするわけですが、やはり違うわけです。なぜかというと技の名前が違うのです。技の名前が違うというのはやはり技の効用というか、体系が違うということでしょう。
しかし、体術における人の動きを突き詰めていくと、どれも同じような動きになるはずです。これは人間の骨格等の構造が変わらない限り、動きも変わりようがないからです。どういうことかと言うと、技を掛ける側にとっては一番自然な動きになるのであり、技を受ける側からすればもっとも不自然な動きになるということです。
これを理解した上であれば、同じような動きをする技は連動して覚えていくと覚えやすいのは間違いないでしょう。
特に、同じ流派の中では流祖の思考体系がよく現れてますから、それぞれの技がまったく別物ということではなく、お互いに関連していると考えた方がよいでしょう。となると、核となる技があり、それを理解することで、他の技を理解する上で非常に参考となります。
この核となる技を一般的には「奥義」と言っているようですが...
それは置いといて...
昨日は不動智心流を2手ばかり進めてみました。この2手は「似て非なるもの」というか、同じような動きをするわけですが、やはり違うわけです。なぜかというと技の名前が違うのです。技の名前が違うというのはやはり技の効用というか、体系が違うということでしょう。
しかし、体術における人の動きを突き詰めていくと、どれも同じような動きになるはずです。これは人間の骨格等の構造が変わらない限り、動きも変わりようがないからです。どういうことかと言うと、技を掛ける側にとっては一番自然な動きになるのであり、技を受ける側からすればもっとも不自然な動きになるということです。
これを理解した上であれば、同じような動きをする技は連動して覚えていくと覚えやすいのは間違いないでしょう。
特に、同じ流派の中では流祖の思考体系がよく現れてますから、それぞれの技がまったく別物ということではなく、お互いに関連していると考えた方がよいでしょう。となると、核となる技があり、それを理解することで、他の技を理解する上で非常に参考となります。
この核となる技を一般的には「奥義」と言っているようですが...
ここのところ、都合により稽古に参加していませんので、なかなか稽古の様子が書けないのですが...
先週くらいから急に気温も下がってきまして、そろそろ冬支度を始めてますので、ぼちぼち稽古納めでもいいかな?なんて軟弱なことを考えていますが、「稽古納め」というのはあくまでも道場の稽古の話。武術の稽古というのはなにも技の型をやればそれでいいというわけではありません。
例えば、演武会に参加するとなると、技を披露するだけでは終わりません。当然、所作振舞も演武のうちとなりますので、礼の作法、刀などの扱い方、などなど普段の道場での稽古だけでは身に付かないものだってあるわけです。
また、礼法などは別に道場でなくても、極端な話、いつでもできるわけですから、そういったことをやるのも稽古のうちと言えます。
今は、椅子に座ることが多くなり、畳の上に座る機会もそうないのですが、それでも挨拶は仕事にいけばほぼ毎日しますね。そのときに作法を気に掛ける、立礼も礼のうち、演武会でもやりますよ。
また、人ごみの中を歩くというのは体捌きのかっこうの稽古場となるでしょう。どれだけ自然に他人に触れることなく歩けるか。いちいち大袈裟に避けたりしててはまだまだですよ。
このように、稽古とは道場だけでやるものでもなければ、技の練習だけを言うのでもありません。日ごろの稽古が大事とはこういうことではないですかね?
先週くらいから急に気温も下がってきまして、そろそろ冬支度を始めてますので、ぼちぼち稽古納めでもいいかな?なんて軟弱なことを考えていますが、「稽古納め」というのはあくまでも道場の稽古の話。武術の稽古というのはなにも技の型をやればそれでいいというわけではありません。
例えば、演武会に参加するとなると、技を披露するだけでは終わりません。当然、所作振舞も演武のうちとなりますので、礼の作法、刀などの扱い方、などなど普段の道場での稽古だけでは身に付かないものだってあるわけです。
また、礼法などは別に道場でなくても、極端な話、いつでもできるわけですから、そういったことをやるのも稽古のうちと言えます。
今は、椅子に座ることが多くなり、畳の上に座る機会もそうないのですが、それでも挨拶は仕事にいけばほぼ毎日しますね。そのときに作法を気に掛ける、立礼も礼のうち、演武会でもやりますよ。
また、人ごみの中を歩くというのは体捌きのかっこうの稽古場となるでしょう。どれだけ自然に他人に触れることなく歩けるか。いちいち大袈裟に避けたりしててはまだまだですよ。
このように、稽古とは道場だけでやるものでもなければ、技の練習だけを言うのでもありません。日ごろの稽古が大事とはこういうことではないですかね?
ここのところ、ホームページ作成に邁進?しておりましたが、とりあえず完成しました。
ULRは http://katayamaryu.shisyou.com/
タイトルは「片山伯耆流」
ここでは片山伯耆流について簡単に紹介しております。一応、道場の紹介もしてます。しばらくはかなり薄味ですが、おいおい更新していく心づもりです。
ちなみに、現在のところ検索エンジンには引っかからないようです。一応、ヤフー、グーグルで試してみましたが見事にヒットしませんでした。
ので、上のアドレスにダイレクトに行ってみてください。ご意見などありましたら...HPには連絡手段がありませんので、こちらで(HPからはリンクしてます)コメントなどいただければ。