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 片山伯耆流は戦国時代の武将、片山伯耆守久安を始祖とする武術である。  居合、剣術、体術等の総合武術で片山流とも称するが、現在まで伝わるのは居合のみ。  最近になって、書伝を基に失伝した腰廻等を起こしたのが「片山伯耆流柔術」。山口県岩国市のとある道場で数人の門下生が稽古をしている。
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 読売新聞が取材に来ました。

 多分、地域版に載るそうです。まあ、気が付いたら見てください。

 ちなみに、取材の内容は「片山伯耆流がイタリアに伝わる」っていうもの(多分)。稽古でやったのは不動智心流(3手くらい)。

 来週は稽古がありますので来てください。

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 今日は師匠が来てイタリア遠征の土産話。あちらでは古流武術がすいぶんと熱いようで。

 どうも、古流に対する注目度が日本とは違うようです。まあ、我々もそこまで熱心にやればいいのですが、本日の参加者は4人。まあ、なかなかいい成績ですよ。

 一応、不動智心流、やりました。投型の10です。これは難しいですね。

 来週は稽古があります。

 明日は稽古があります。

 そろそろ、不動智心流白打を進めたいですね。

 今、どこまで進んでるんだったか...投型の9までですよ。7月から始めたのだが、一体いつ終われるのか。できれば年内には済ませて片山伯耆流に行きたいところ。

 そうそう、浅山一伝流が10まで行ってます。一応、書いといて...気が向いたらこちらも進めてみましょう。

 あと、何やってたかな?天神明進流。適当にやってるので、どこまでってことでもないですね。

 ちなみに、個人的にやってる心眼流はちょっと怪しくなってきたな。そろそろ教えを乞いに行かねばならんかな?なにしろ香川ですから、少々遠いのが...年内に一度行っておきたいところだね。

 古流武術の定義については、明治時代よりも前に存在した武術及びその流派を指すということになる。その意味では「現代武道」に当てはまるのは「柔道」と「剣道」そして「合気道」のみということになる。ちなみに、海外の格闘技は武道には含まれない。なぜなら、武道とは文字通り「武士の道」であり日本固有のものであるからだ。

 ここでは「空手」は武道としては評価しない。古くは琉球時代に行われているのだが、もともと「武士」とは関係のないものであるし、本土に広く伝わったのが明治時代以降のことだからだ。

 では、「武術」とは何であろうか。

 本来、武術とは「兵術」又は「兵法」と言った方が理解しやすいだろう。まさしく「戦いのマニュアル」なのだ。例えば剣術。これは刀での戦い方をまとめたものに他ならない。柔術は徒手空拳での戦い方をまとめたもの。槍術、杖術も然り。

 しかし、こういった武術の諸流派を見ると、いろいろな技があり、それらには技の「名前」がある。そもそも、これが武術について誤解を生む原因であると考える。

 例えば、護身術を考えてみよう。

 一つの例として、「後ろから抱きつかれたときには相手の足の甲を思いっきり踏みなさい」と教えたとしよう。これは相手の攻撃とそれに対する反撃の方法であるが、これをイメージしやするするために、「後虎落し」という名前を与える。そうすると、この名前を聞いたら先の動きをイメージするわけだ。古流武術の技とはこういうことだと理解してもらいたい。

 つまり、大事なのは技自体であって技名ではない。

 では、なぜ「古流」の分岐点が「明治時代より前」となるのか。それは明治時代以降は「武士」の存在がなくなるからだ。つまり、武士あっての武術であり、武士の存在なくして武術など有り得ないのだ。だから、柔道や剣道を「武術」とは言わない。「武道」という。

 では、現在に伝わる「古流武術」がなぜ「兵法・兵術」のような「方法論」としての扱いを受けてないのか?その原因は「江戸時代」にある。

 江戸幕府ができ太平の世が現れるまでは「武術」は実戦論でありまさに「兵法・兵術」であったと思われる。戦争のために武士という職業軍人がおり、彼らは武術を身に付けて有力な大名の傘下に下り、あるいは自ら上を目指していた。片山伯耆流も当時は一貫流などと称していたがその始祖、片山久安は豊臣家の指南役であった。優れた武術を諸侯は求めたのである。

 ところが、江戸時代になり大きな戦争が無くなっても武士という職業軍人は依然として存在した。もちろん、武術も存続している。が、当然、その形は変わっていく。それは、戦いのマニュアルから武士の教養のようなものになっていったのだ。そこに精神論の入り込む余地があった。すなわち、「武士はかくあるべき」という武士の道を説くために武術が用いられたのである。

 そうは言いながらも、武士が存在する以上、当然戦争というものがついて回り、そのために戦いのマニュアルである「武術」は必要であった。そこに現在に伝わる武術の特徴が見られるのではないかと思う。

 そして、武術は明治になり職業軍人である「武士」が消滅すると並行して衰退していく。そこから武術は「古流武術」となるのである。

 そう考えると、「古流武術」というのはその当時の最先端の「兵法」であるが、決して神秘的なものでも格式ばったものでもない。ましてや、精神修養のためになるはずもない。

 また、古流武術はその性格上、一般に普及することを嫌う。それは今の世で言えば、作戦内容が漏れるようなものだ。相手に知られてはならない。それが武術だ。だから、今でも道場の見学を制限しているところもある。ちなみに当館では見学は申し出があれば、よほど怪しいものでなければ受けている。もし、見学をしたいと思う人は当館の館長もしくは門下生まで、風の便りか虫の知らせで申し込んでほしい。

 本日は3名。

 ここのいつもの様子はというと、19時ころに一番乗りが到着。それから適当に人が集まるまでは各自で思うところをやっている。

 ちなみに私が来るのは大抵19時半過ぎ。

 一応、3人集まったらいつもの稽古に入ることにしている。今は不動智心流白打を進めているところ。残念ながら、ここ2週間ばかり進んでいない。ぼちぼち手を進めたいところだ。

 今日も当初2人しか来てない。私は心眼流のおさらい。教わったのはまだ6手のみ。しかし、正しく覚えてるかどうか怪しくなってきたのがある。そろそろ復習方々習いに行かねばならんか?

 20時になっても後続が見えないため、今日も不動智心流は断念。代わりに浅山一伝流を。

 こういうのもなんだが、この流派をやったのは私がここにお世話になり始めたころ。すっかり忘れてるので、書を頼りにやってみる。もともと、ここの道場では入門したてのころに、この浅山一伝流や天心古流、不動智心流などをやっていた。

 まずは、古流に慣れるためだそうだ。

 そして、そのあたりを一通りやってから片山伯耆流や天神明進流に入る。確かに、その方が所謂素人にも、他の武術をやってる人にもやり易いのだ。

 この浅山一伝流もやってみると、なかなか面白い。今日は10手ばかりやってみた。

 ちなみに次週は休み。再来週までごきげんよう。

 

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